ここは新千歳空港。今,僕は北海道にいる。僕は,北海道,特に札幌が大好きである(北海道では,札幌にしか言ったことがないからでもあるが…)。なぜなのかな,飛行機を待ちながら回想してみた。
2日前のことだった。
僕を乗せた飛行機は,北海道の地に僕を運んだ。
その後,順調にJRに乗り換え,札幌駅で下車し懐かしの札幌の地を踏んだ。
そう,驚きと戸惑いだった札幌の地は,いつしか僕にとって懐かしの土地になっていた。少なくともその時はそう思っていた。
もちろん,知り尽くしたとまでは言えないが,勝手知りたる(という感覚になっていた)札幌の地,見覚えのあるエスカレータで地下街へ,そしてラーメン屋さんへ,そんな淡い欲望を覚えながらホームへ降りた僕をほどよい,しかし確実に意識できる冷気が包み込む。
そして,その時のことだった。
ブルッ!実際にはそうはならなかったのだろうけど,確かにそんな感覚を感じた。そしてそれは,僕の意識に尿意を招き入れたのだった。
トイレに行こう!
至極まっとうな考えだったと思う。実は,空港でその感覚はなんとなく感じていた。行こうかどうしようか?1.5秒ほど思案した結果僕は,エスカレーターへ急いだ。きっと,まだ行ける。とりあえず,札幌に行こう。そして,ラーメンを食べよう。12:50という時間は,「トイレ<ラーメン屋」という式を導くには絶妙の時間であり,また十分な条件であった。そして僕はエスカレータへと急いだ。エスカレータに乗り,地下道を歩いた。切符は買わなくてもいい,カードでピッで行ける。すべてがスムーズだ。今日の僕はついている。北海道の地は,僕に味方してくれている。そう,信じられていた。否,疑いを持つことすらなかった。それだけ僕は,浮かれていたのだろう。
しかし,直後,僕は現実に引き戻される。それは,ホームに行った時のことである。そう,僕がこれから乗ろうとしているのは,JRなのだ。時刻表通り運行されているJRなのである。僕が,どんなにスマートに最高にエグゼティブなかっこいいイメージでスムーズにホームまでたどり着いても(実際は,よれよれで大きな体で噴き出す汗を流しながらノッシノッシと歩く中年男だが…),発車時刻は決まっているのである。15分おきの電車は,目の前で発車したばかりだ。15分。これが意味するもの。僕の膀胱が満たされるには,もしかしたら十分な時間だったのかもしれない。ダンディでエグゼクティブな男性をイメージしていた僕は,ソワソワする少年に代わっていっていたのかもしれない。しかし,その時点ではそれまで大きな問題とは意識されていなかったのだった。
立ったまま僕は,窓の外を見ていた。僕は,なんとなく立つことにした。僕が座るには,長椅子の座席はあまりにも乗客が多すぎる気かがしたし,女性が多い気がしたのでだった。女性の隣の座席に自分から座るほど,僕は自分を物だと思い切れていないし,その意味で自意識を捨てきれていない。勿論,好意的に迎え入れられることはないし,むしろご機嫌に話していたひとの眉間に自然にしわが寄る現象が観察できるという意味においてである。とにかく,電車に乗り込んだ僕は立っていた。そのころ,尿意はどうなっていたのだろう。今となっては,思い出すことができない。乗り込んだ時の車内の様子はなんとなく思い浮かぶのだが,それだ出の最大の関心事項であった尿意とのせめぎあいについては,まったく思い出すことができないである。ひととは,勝手なものなのかもしれない。次に,私が尿意の姿を確認したのは,列車が千歳を発車し,恵庭に向かってスピードが乗ってきたころであった。
なんとなく下腹部がぞわぞわとする感じ,まさしくそれが,彼の姿である。とはいえ,それが彼の実態そのものなのか,彼の輪郭なのか,それとも彼の生み出す影なのか。それは,僕にはわからない。それが何なのかはわからないけれども,確かに僕はそれを彼だと感じていたし,そしてそれはそうなんだとも思う。何なのかを理解することもよりも,確かに感じているそれからの知覚だと自覚している,そんなことの方が僕にとっては重要なのである。だって,彼の姿を感じていることが今の僕にとって,そしてこれからの僕にとって重要なことだから。でも,それは,一般的にはどうだっていいことかもしれないし,それは他の人とは違うのかもしれない,分類できないそれは,単なる幻なのかもしれず,だれにも伝わらず,認めてもらえないのかもしれない。きっと,そんな代物であるのだろう。
でも,とにかく僕は走る電車の中で彼の姿を確かに感じてしまったのだった。今思い返すと,それがなぜなのか考察することはできる。きっと,千歳から恵庭までは距離があるし,新千歳空港から千歳までは僕が電車の雰囲気に慣れ落ち着くには十分な距離だったからだろうと思う。多分この考えは間違っていない。そして,僕はその時にもそう考えることはできたはずだったと思う。でも,その時の僕はそんなこと考えなかったし,例え今の僕がその時の僕にその考察を教えてあげることができたとしても僕はそんなことはしない。それは,彼の姿を感じている僕に,なぜそれが再び現れたのかの理解なんて,爪楊枝の先っぽほどの意味すらないからである。
なんとなく,強く感じてきた彼の姿。「確かに奴はここにいる」僕の意識が確信的に彼の姿を捉えようとしていた。僕の中にある思いが沸き上がる。「間に合うのか?」今までの経験を記憶から引っ張り出し,様々な計算をする。札幌まで約30分。感じている彼の姿の確からしさによって測る彼との距離。今まで何度かあった,彼とのギリギリの駆け引きの記憶を蘇らせる。「まだ大丈夫。まだ行ける」自信を持っていた。しかし,僕の心は彼に囚われていた。そう,まるで思春期の恋愛のように…とは言い過ぎだろうか。でも,僕の関心は下腹部から生みだされる感覚,その一点に絞られていた。まだ余裕があると頭ではわかっているものの,それにはどうしようもなかった。いや,正確に言うと僕は囚われていることにすら気づいていなかったのである。僕は,囚われているとも知らず,ただ「大丈夫(なはず)」と僕自身に僕の下腹部に言い聞かせていたのである。
そんな時だった。僕の目に鮮やかに紅葉した木々が飛び込んできた。僕の心は一気に奪われた。「あぁ」僕の周りから,そして中からすべてが消えた。あれほどまでに気にしていた周囲の乗客の姿が消え,あれほどまでに囚われていた彼の気配が消えた。その圧倒的な大自然の存在に僕の心は吸い込まれていた。どのくらいの時間がたったのだろう。僕が我に返るまで,僕の中の時間は確実に止まっていた。そのくらい圧倒された。ひとは圧倒的な存在の前では,ただ立ち尽くすことしかできなくなる。その時の僕がそうだった。荘厳なる大自然の美しさに対峙することのなく僕はその一部となって溶け込んでいった。言葉にできない美しさだった。ただ,そこに圧倒的なそれ自体があったのである。かくして彼と僕とのせめぎあいはいったん休戦となった。いつのまにか彼の姿を忘れて,僕はただ立っていた。そして,電車に運ばれていたのである。流れる車窓の風景の記憶は,時が止まっていると感じていた僕にも等しく時間は流れていたことの証明だった。
そうして,僕が三度目に彼と遭遇したのが,冒頭の札幌駅のホームに降り立ちその地を踏みしめた時であった。紅葉に高揚していた僕の身体をクールダウンするように包み込んだ冷気は,僕に三度目の彼の姿を見せてくれたのだった。
ブルッ!実際にはそうはならなかったのだろうけど,確かにそんな感覚を感じた。そしてそれは,僕の意識に彼の姿を招き入れたのだった。
トイレに行こう
僕はそう思った。これは,近い将来(もしかするともう),トイレに行かねば。となることが予想された。なんとなく進める足のピッチが速くなる。僕の頭は,彼との距離感を再計算しなおし続けた。僕(の脳)が大自然の中に吸い込まれ時が止まっていると錯覚していた時も,確実に彼は忍び寄ってきていた。忍び寄る?もしかすると彼は堂々と近寄ってきていたのかもしれない。少なくとも,私の脳とは,別に身体は自分の仕事を全うしてくれていた。うーん。思ったよりち数いているのかもしれない。僕が出した答えは,少なくとも僕の歩幅を心持ち広くするくらいには僕を焦らせた。間に合うのか,間に合わないのか?これは,僕とって大問題である。でも,すれ違う名前も知らない誰かにとっては。どうでもいい問題なのだろう。でも,そのどうでもいいと思っているだろう名前も知らないその人の存在を僕は猛烈に意識していたのだった。
トイレはどこだ?
トイレの位置を探した。こうして,札幌での新たな冒険が始まる。トイレクエスト。切羽詰まりつつある僕の緊張感とは裏腹に,なんとも締まらない名前である。とはいえ,トイレクエストの冒険は,その時の僕にとっては自らの尊厳を守る崇高な旅路なのであった。とにかく,優先順位の上位だったラーメン屋を後回しにして,僕はトイレを探していた。正確には,トイレの存在を示す看板を探していた。そう,生まれて初めて大草原を見た小鹿のようにキョロキョロと。この時ばかりは,初めて渋谷に行った後輩が斜め上を見てビルの看板をキョロキョロ見ながら,いちいち言葉にしていたのを恥ずかしいと思ってしまったことを公開した。正接なものの優先順位が変わる瞬間はあるのである。そしていつ自分がその立場になるのかはわからない。
心の中で後輩に謝りながら,私は歩みを進めていた。前に高齢の女性がいた。荷物が重いのか,姿勢が傾いている。それでも彼女は,歩んでいた。小さな階段を降りるとき,彼女のスピードは確実に落ちる。それは,僕が少しずつ迫ってくる彼との距離感を意識せざる負えなくなるには十分すぎるほどの予想であった。そして,階段に差し掛かる。彼女のスピードが落ちる。僕は,彼女に追いつくにはまだ少し余裕がある。僕は,足の裏の感覚に最大限の注意を向けた。接地した足の裏を地面が押し返してくる。その感覚が足の裏でかかとからつま先へ移動していく。それを僕は感じていた。そして足が地面から離れ,スッとした後再びかかとが地面と出会う。いつのまにか僕の歩くスピードは緩み,女性との距離も保ったままだった。そして,その時は彼の姿も気にならなくなった。僕は,ただ歩いていたのだった。
階段を降りると,歩く人たちのスピードがアップした。まるで市道からバイパスに出たように。僕のスピードも上がっていった。冒険が再開された,彼とのせめぎあいも再開された。再び,元のモードに戻る。
地下道を歩きながら,僕はあることに気づく。道の真ん中に柱が並んでおり,その右側と左側に分かれてだれもが行きかっているのである。僕や僕と同じ方向に歩く人は左側を歩き,対向してくる人は左側を歩いていた。こんなに美しく分かれている光景はあまり見たことがない。関東でも。関西でも,九州でも,地下道はぶつからないのが不思議なくらい入り乱れている。でも,ここ札幌では,美しく整っている。「そうだ!広いんだ!」とても広いのである。地下道にもかかわらず道幅が広いのである。それに気づいたとき,向こうから僕らが歩いているレーンを歩いている人が来た。「ああ,あの人は地元の人じゃないな。観光できた人かな?」僕は,自分の推理にご満悦だった。「これはいい,見抜ける!」と思った。誰かに披露したかった。僕の考えが間違っている可能性があるにもかかわらず,である。疑うことを忘れてしまっていた。
そうしているうちに,彼との距離は絶望的に近づいてきた。僕は,自然とストライドを狭め,ピッチを速めて,刺激を多く取り込むことで乗り切ろうと戦略を立てていた。もうすぐである。もう見えてきた。角を曲がって,競技場に入るマラソンランナーの気分である。できれば,駅伝選手がたすきを取るように,僕もチャックを下げてゴールに飛び込めるように準備したい。でも,それは尊厳を守るための冒険にはふさわしくない!!僕はせめぎあっていた。彼と,そして自分自身と。
そうして,僕はやり遂げた。間に合った。ゴールに飛び込み,クールダウンのように小刻みに足を動かして足踏みをして,チャックを下げた。そして…。僕は,自分の尊厳を守ったのだった。やり切った。札幌の街でやり切った。ありがとう。みんな!!知らない人とも仲良くなれそうだった。
そして何より,あの時の解放感を僕はきっと忘れない。
尊厳と解放の街,札幌を愛してます。
0 件のコメント :
コメントを投稿