デカルトに学ぶ不安の解消法

「僕って何」という三田誠広小説がある.1977年の芥川賞作品であるが,アイデンティティクライシスは,いつだって不安と居場所のなさ,虚無感を引き起こす.

「僕」=“I”は,時にひとを悩ませる.例えば,自己紹介.何を語ればいいのか,迷うことも多い.この時の「僕」は,①自分から見た自分としての自己,すなわち「僕」自身の物語と,②他者から見た他者としての自己,すなわち「他のひと」の興味関心による物語のバランスによって形作られる輪郭を場の雰囲気によって色付けしたものであるといえる.だからこそ,ふとした瞬間に「僕って何?=Who am I?」という言い知れぬ疑問が胸に湧き上がってくるのである.

自分が描いている「僕」は,実体のないあいまいな存在である.と,すると急になんだか落ち着かなくなる.「僕って何?」このような,アイデンティティのクライシスは,ひとを苦しめる.それに対して,わたしたちは自分の属性を並べる.性別だったり,利き手だったり,職業だったりといった客観的なデータから,趣味だったり,生き様だったり,寝るときの好きな姿勢だったりといった主観的なデータまで,いろいろな言葉をかき集めて自分を形作り語ろうとする.自分のイメージを相手のスクリーンに映そうと必死になる.ところが,その自分自身のイメージは曖昧で,相手のスクリーンに映った姿はもっと曖昧で・・・.急に不安になるのである.もし,あなたが鏡をのぞきこんだとき,その鏡にあなたの姿が映っていなかったら,どうだろう?アイデンティティクライシス,アイデンティティの喪失とは,そのような体験である.

「わたしとは何か?」

誰もが,人生のどこかの場面で,この問いに出会ったのではないだろうか?もし,この様な悩みを持たないひとがいれば,そのようなひとこそ健康と呼ぶのかもしれない.しかし,思春期,青年期を体験したひとなら誰しもが,一度はこの問いに支配され,不安定な自己を経験したのではないだろうか?

そして,この問題に人生をかけて取り組んできたひとたちがいる.そう,哲学者たちである.

これは完全に私見であるが,アイデンティティクライシスは,ルネ デカルト(フランス:Rene Descartes 1596-1650)に学ぶと良いのでないかと思っている.
デカルトといえば,方法序説の「われ思う,ゆえにわれあり(Cogito ergo sum)」という言葉が有名である.この言葉が残る前提として,ご存知のようにデカルトは方法的懐疑という,絶対的な真理を見つけるためにすべてを積極的に疑うことから始めた.すなわち,少しでも疑いの余地のあるものは,その時点で真理ではないということである.その結果,全てのものが疑え,排除されていった.その時のデカルトのこころ内に想いを馳せてみる.自分の感覚が疑われ,内的体験が疑われ,知覚や自覚が疑われ,遂行機能も疑われることで自分が行ったという行為も疑われる.このように,すすめられていく方法的懐疑によるプロセスによる結果から,デカルトは圧倒的なまでのアデンティティクライシスを経験したのではないだろうか?自分を形作っている,知覚や記憶,感覚,遂行などすべてが疑われ,消えていくのである.依る者のない,喪失感,絶望感,虚無感,次第に世界との間に引かれた自分の輪郭が消えていき,世界へと埋没していく恐怖,自分が自分で見えなくなる不安.孤独な真理を探す旅を続けるデカルトの苦しみは極限まで達していたことでしょう.しかし,そこでデカルトは気づきました.ここからは空想です.全ての拠り所を失うことで自己の存在すらも喪失し,こころに沁みだしてくるどうしようもない虚無感にこころが支配されていくことを感じる中でデカルトは,圧倒的な感覚の前になすすべのない自分をさらし,それと対峙するのではなくそれに身を任すことで,「いま」の生々しいリアルに戻ってきたのではないかと思います.方法的懐疑においてデカルトは,観念の世界で,方法的懐疑のプロセスの結果という認知の作用に目を向け,世界と対峙することで真理を見出そうとしていました.しかし,依るべきものを失い,圧倒的な虚無感の中で世界に埋没していく自己存在になすすべもないまま,その現実のみをただ感じた時に,「いま」にデカルトは戻ることができたのではないでしょうか?そして,プロセスの結果ではなく,その営みそれ自体に「わたし」を見出し,その結果「われ思う,ゆえにわれあり」となったのではないかと考えています.スピノザは,「われ思いつつ,われあり」と言っていますが,まさにそんな感じでしょうか?

このように,アイデンティティのクライシスが主症状の「僕って何?」症候群に対しては,リアルな「いま」,それ自体をそのまま感じ,体験し,それにひたるということが,対処のためのヒントとなるのかな?と思っています.作業療法って,そのためにとっても役に立つのですよ.
今日はここまでとしておきましょう.この続きは,札幌で開催される第50回日本作業療法学会の裏企画MUHOO Vol,2でお話しできたらいいですね.ちなみにMUHOOは,いま日本で最も勢いのある作業療法の本質を知るOT,沖縄の仲地宗幸がプロデュースする,いまとっても熱いOTが一堂に会する夢のようなパーティです!!ぜひ,一緒に語らいませんか??申し込みはこちら.

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全国学会裏企画 MUHOO Vol,2 その2

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