痛みについての一考察

「痛い」というのは,つらいものです.最近,痛みが復活してきて,まざまざと体験しています・・・.あの憂鬱な日々が再び・・・.

確かに,痛みは無い方がいい.でも,「痛みを経験しないひとはいない」と言いきることができるほど,わたしたちは当たり前に痛みを経験します.痛みは,最早人生の一部なのです.

誰もが,当たり前に持っているのが「痛み」ということが言えるのですが,それはひとにとって「異常事態」として体験することになります.それはひとの意識を通して,疑えない現象として立ち現れています,ひとは痛みがないのがノーマルであると思っているのでしょう.だから,痛みは身体の異常を知らせるアラームとなり,痛みは解消するべきターゲットになるのでしょう.こうして,わたしたちは,「痛み」と対峙していくことになります.

これに対して,一般的には,認知行動療法的な手法がとられるようです.認知行動療法は,非常に有効な手段で,症状に対しての効果は高くエビデンスもあります.それで,臨床においては広く取り入れられているのです.この認知行動療法という武器を持って,ひとは「痛み」と対峙するのです.これと同じ構造で,薬物療法も実施されているといえるでしょう.

このように有効な認知行動療法ではありますが,時に上手くいかないことも経験します.特に,夢や希望などの理想と不安や恐怖という現実との間で起こる葛藤を抱え苦しんでいる.進むことに戸惑っているひとにそれが見受けられるように感じます.臨床で,そのようなそのひとに出会った際に,そのひとのその時の状態に対して,「痛み」はアラームとなっているようにわたしには見えるのです.

その「痛み」と「対峙」することは,確かに必要なことかもしれません.しかし,「対峙」することのみでは,大切なものを見落としてしまう可能性があります.

痛みと対峙し,それを消そうとする,無くそうとする,それにこだわり,取り組み続ける.何とかしたいという思いを,諦めそうなこころに鞭打ちながら・・・.そうしているうちに,「痛み」は「痛み」それ自体ではなく,そのひとのイメージの「痛み」に取り込まれて変わっていきます.そう,呪いというか,亡霊というか・・・.そのようなものに取り込まれてしまうのです.

それに対して,どうするのか?「痛み」を「痛み」として,それ自体をそのまま体験し,あるがままの「痛み」を経験し,それをそのまま抱え,受け入れていく.痛みを自分の一部として感じていく,それが必要なのかな??なんて考えています.

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