ところで,今回のブログでは,定義の註釈に記されている,作業に焦点を当てた実践で用いられる「目的としての作業の利用」と「方法としての作業の利用」にくわえて,「実存としての作業の利用」について,私見を述べさせていただこうと思います.
今までこのブログにおいても,
改定された作業療法の定義とMBOTが果たす役割(2018,5,28)
作業に焦点を当てた実践における作業の利用ついて(2018,6,14)
方法としての作業の利用と目的としての作業の利用の実施戦略(2018,6,26)
と作業に焦点を当てた実践について述べています.
特に「作業に焦点を当てた実践における作業の利用について」では,
という図を用いて,目的としての作業と手段としての作業の関係性,そして手段としての作業にある①機能の維持向上のための作業の利用,②リアルな現在である世界とつながるための作業の利用,について考察しています.
このように考えていた私ですが,この②リアルな現在である世界とつながるための作業の利用を「実存としての(実存的文脈における)作業の利用」とするならば,目的としての作業にもかかるのではないかと思いなおしました.さらに,目的としての作業の利用や手段としての作業の利用が適切に働くようになるための基盤となるのではないかとも考えています.(この基盤という概念に関しては,作業がマインドフルネス要素を持っているという仮説を立てた当時から持っている感覚です.例)マインドフルネス作業療法:MBOTはウィルスバスターのような役割である)
これを図示してみると以下のようになります.
以上を勘案すると,
という形になるのかなと考えております.
このうち,MBOTは「実存としての作業」の利用を主にしています.(現在,MBOTはその対象領域を広げつつありますが,今のところ精神科における感情調節が困難な方々への研究しかありませんので,それを基に説明したいと思います.)経験者の主観的感覚の変化を明らかにしたMBOT研究では,ストレス解消,苦悩解放,リラクゼーションなどのいわゆる即興性の治療効果は約半分に見られましたが,自尊心や統制感などは90%以上の確率で向上することが分かっています.このように,MBOTでは,手段としての作業の利用による効果もあるのですが,それよりも実存としての作業の利用がポイントとなっているのです.
また,内的体験の変化を示したMBOT研究(織田靖史, 京極真, 西岡由江, 宮崎洋一. (2017). 感情調節困難患者がマインドフルネス作業療法 (MBOT) を実施した際の内的体験の解明. 精神科治療学, 32(1), 129-137.)では,手段としての作業の利用による変化は,実存としての作業の利用による変化に先立ってあらわれます.しかし,それは促進する要素と危機を揺れながらであり,なかなか安定しないのです.実存的な変化があらわれて,価値が変わったとき,生き方が更新されたときに安定することとなるようです.すなわち,実存としての作業の利用がポイントとなることを示唆しているといえるのかもしれません.
では,目的としての作業はどうなのか?これまでの多くの研究により,目的としての作業は,幸福感や健康とつながるものと考えられます.しかし,これもリアルな感覚や世界とつながっていてのものでしょう.「なにをやってもつまらない」「面白くない」「やろうと思ったことに満足できない」ときには,それだけで目的としての作業の利用による効果も下がるでしょう.目的としての作業が目的としての作業として,自身や周囲に的確に受け入れられるためには,「実存としての作業」の意味もそこに必要なのではないでしょうか?その意味においては,目的としての作業は実存としての作業に被るといえるでしょう.目的としての作業の本質は,結果はもちろん同時にそのプロセスにあり,それは実存性という形で発揮されるのではないかと思っています.とにかく,作業に取り組み,作業を感じ,その時の自分の身体感覚にひたり,ただそれ自体を行う,それがポイントなのではないかと考えています.(例えば,アスリートの例ですが以下の論文などで指摘されています.Bernier, M., Thienot, E., Codron, R., Fournier, J. F. (2009). Mindfulness and acceptance approaches in sport performance. Journal of Clinical Sport Psychology, 3(4), 320-333.)
目的としての作業の利用,手段としての作業の利用,そして実存としての作業の利用その視点をバランスよく持っておくことがいいのかなと思っています.
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