皆様ご存知かもしれませんが,
いたずら好きのキツネの「ごん」は,兵十にいたずらしたことを悔いて,兵十の家の前へいわしを届けます.しかし,そのいわしは盗んだものであり,兵十が魚屋から殴られてしまいます.それを見たごんは反省し,栗や松茸などを届けるようになります.ごんの行いを知らない兵十は,神様の仕業だという友人の言葉を受け入れ神様に感謝します.自分がやったのに神様のおかげだという兵十に,ごんは面白くありません.そんなある日,家の中に入るごんの姿に兵十は気付きました.怒りと共に兵十が持った火縄銃が火をふき.ごんが倒れた時,兵十の目に栗の塊が見えたのです.「お前だったのか?」ごんに確認する兵十,ごんは目をつむったまま頷いたのでした.
という物語です.
読むたびに胸が痛くなります.私が初めて読んだのは,小学校に上がる前でした.そして,小学校の時に国語の授業で読んだのが2度目でした!!そのときは,どうしても第3者的に物語全体を感じてしまい,哀しい話だという印象が強く残りました.そして,ごんの無念さを感じました.ひとは分かり合えないのかもしれない,一回やってしまったことは取り返しがつかない,と自分を律する戒めとして読んだのを覚えています.
それから,30年たった今,久しぶりに読んでみると・・・.撃たれたときのごんの気持ちは勿論,その後の物語が気になりました.
ごんは,あの時どんな気持ちだったのだろう・・・?無念だったのでしょうか?悔しかったのでしょうか?何をやっても無駄と虚しかったのでしょうか?それとも,少し救われたのでしょうか??
そして,その後を兵十はどう生きたのでしょうか?
ちょっとした擦れ違いは,大きな不幸を招きます.信念対立の行きつく先は戦争という不幸だと言われています.それでも,ひとは生きていくのです.そんなことがあっても,残されたひとは生きていくのです.
その後を兵十はどう生きたのでしょうか?兵十が何をしたのか?兵十に落ち度があるのか?わたしにはわかりません.それでもその後,兵十は生きたのです.生きるのです.わたしたちに何ができるのか?
皆さんはどう思いますか??
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