#らいすた の講義で学んだ状況に応じた正しさの確認方法

 ホントに今頃になに??っていう感じですが・・・,先日の #らいすた 京極先生の回(定期購読記念回 作業療法研究法・概論)から学んだことを考えたことを書きたいと思います.

 まず,研究の前提としての科学についてですが,

 5月9日その他 科学は現象の理解、予測、制御につながる構造を追求する営みである。

と定義されています.これは,今までの人類の歴史を振り返ってみても納得できる定義だと思いました.
 くわえて,

 5月9日その他 科学の条件の1つに、反証可能性(間違っていると証明できる)を担保できる。ここが宗教との違いでもある。

という条件にも言及されていました.これは,宗教(信仰)から科学が独立するポイントとも言えるでしょう.神話から独立した哲学が生まれた瞬間と言えるのかもしれません.そして,その哲学はやがてより明確な数学(自然科学)と文学に分かれました(とわたしは理解しています).

 哲学とは,“ものの本質を明らかにする営み” だといえるでしょう.その定義にしたがうと,論理的に「真実の言葉(数字や記号)」で本質を明らかにするという(自然)科学的な試みと「フィクション」で本質を表現するという文学的な試みがそこに含まれます.したがって,良く対立するこの2つの試みは「異なる関心から1つのテーマについて明らかにしようとする試み」であることに包含されると言えるのではないでしょうか.

 そうすると,科学の目的は,「物事(現象)の本質を明らかにすること」であるといえます.その本質を明らかにするための手続きとして,各研究方法は存在するのです.そう考えると,各研究方法は対立するものではりません.関心と状況に応じて使い分けられるべきものでしょう.もちろん,科学(研究)は「物事(現象)の本質を明らかにすること」が目的ですから,それに応じた研究法を用いる必要があります.したがって,その明らかにしたい命題にあった研究方法はあり,状況と関心に応じてその価値は変化します.が,本質的にはそれぞれの研究法の意義や価値は同等といえるではないでしょうか.その意味においては,方法論の絶対化はナンセンスでしかないでしょう.それこそ,科学が信仰に進化したということかもしれません.

 したがって,科学的な手法に関わるわたしたちにとっての重要なポイントは「本質を知る」という知の営みからはずれないかを確認する「気付き」であると考えられます.

 そのために,各研究法のポイントを把握しておく必要があります.同時に,わたしたちはその研究を通して何が知りたいのか?という目的を明確にしておく必要があるのでしょう.その目的基づいて,その時の状況(条件:研究者の能力や環境,コストなど)にあった方法を選択し,遂行していくのです.各目的に応じて最も本質を掴みやすい方法のセオリーはあります.例えば,介入研究の効果を本質的に明らかにしたいのであれば,RCTを実施することやその結果を集めたメタアナリシスを行うことが最も有効でしょう.が,それができない状況(少数例である,1事例でも全体のことがいえる)のであれば,他の研究法が最も適当であるともいえることになります.病因等の関係性を知るのであれば,横断研究の方が適当なのかも知れません.また,そこにある「構造(システム)」という本質を知りたいのであれば質的研究や理論研究の方が妥当となることもあるでしょう.すなわち,いかに本質を知ることができるのか?ということがポイントとなり,そこからずれていないのかということを確認することが大切であるのでしょう.

 ということを学びました.とにかく,いったん掘り下げて包含する条件は何なのか?そもそも何が目的なのか?という自分の関心を確認し,今置かれている状況を把握したうえで,科学的営みを実施すると効果的なのかなと再確認しました.

 #らいすた を通して,本質の重要性を再確認しました.#らいすた の本質的価値を感じながらの夜でした.次回が楽しみです!!(笑)




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