反応しない“コツ”について考える

 昨日の京極先生のブログ『反応しない技術を身につけるコツ【人間関係&ストレス】』(詳しくはこちら)を読ませていただきました.
 
 この記事の元ネタは,『無駄に「反応しない」って大切【人間関係&ストレス】』(詳しくはこちら)で,ここでは本当に大雑把にさくっと書くと「信念対立(人間関係のトラブル)を抱えたときに反応し過ぎると返ってしんどくなる.とはいえ,反応しないでいるとこれもエネルギーを消費するので,反応し過ぎないように反応しなさ過ぎないように起こるままに反応しましょう」ということを指摘されています.

 しかし,「適当に反応しましょうと言われても,特に過度に反応しないようにしましょうと言われても,簡単にできないから信念対立は終わらないのだよ,ワトソン君」とホームズが指摘するばりに,反応しないことの難しさは少しの推理でたどり着ける真理だろうと思います.

 それに対して,京極先生は昨日のブログで,反応しないコツについて示されました.そこでは,これもざっくりとまとめると,①何がどうなっているのかを知り,②起こっていることについて無防備に受け止めず,③それを慣れるまでやってみる,というポイントが挙げられています.

 ここで,わたしが面白いなと思ったのは,京極先生が「ナイーブ」という言葉を用いられていたところです.「ナイーブ」という言葉は,その語源をフランス語の「naif」の女性名詞「naive」とされており,「生まれたままの」という意味になります.そこから,英語では,「無知」「世間知らず」「単純」「騙されやすい」「バカ正直」といったどちらかというとネガティブな意味となっています.もちろん日本語では,「繊細な」とか「傷つきやすい」といったような感受性の高さを表す言葉として広まっているのですが,元の意味には戦略のなさを表すところが含まれているのです.

 わたしは,その意を汲み取って「無防備に」と受け取りましたが,文脈的にはそういった意味かと思います.

 この「ナイーブ」が「無防備に」という文脈から選択されたのだとすれば,まさに「反応しない」というのは,技術であり,ストラテジー(戦略)であるということを意味しているのではないかと思います.

 すなわち,反応しないということは技術であり,そのためにはその理(ことわり.成り立ち,構造)を理解したうえで,その原理に基づいて意識的に受け止め,その方略を自らの中に定着させる,という必要があるということです.意識的にそれを行い続ける必要があるということなのでしょう.

 そして,その態度,過程,技術は,まさに信念対立解明アプローチの真骨頂とも言えるのでしょう.状況を把握し,反応する目的を確認したうえで意図を持って戦略的に反応するのが必要であるということになります.もちろん,自分でコントロールできない自動的な反応はあるでしょうから,それは仕方ないとして,それ以上の反応が起こらないように反応を意識的にコントロールするということになるのです.これは,いかに早く「我に返るか」という技術が必要なのだと思います.

 注意のコントロールで意識を自己に戻すことができるのか?それとも,注意を一旦他に向ける(気をそらす)ことでとらわれた注意の転換を行うのか?他者からの指摘で我に返るのか?いろいろな方法があると思いますが,それを戦略的にする必要があるということです.そして,戦略的であるということは,平静,冷静であるということも,ポイントの一つとなるでしょう.感情的になると,ひとは戦略性を失います.いかにcoolに居られるかということが重要となるでしょう.

 そのためには,戦略的でいることを一時的においておく.こともトレーニングの中に必要かもしれません.コントロールしようとすればするほど,そのことにいっぱいいっぱいになり余裕がなくなり,小さな変化に一喜一憂しやすくなりなります.そうではなく,受け止めるということ,抱えるという姿勢がポイントとなるのかもしれません.

 意図的にあるために,意図を一旦おいておき,自らが感じるものを感じるままにしておける.そんなトレーニングにも取り組まれてみることはいかがでしょうか?


0 件のコメント :

コメントを投稿