#らいすた の講義を聴いて考えたリーズニングのトレーニング

 昨日の #らいすた を視聴させていただきました.今回は寺岡さんの回で,「リーズニング」というとっても興味深いテーマでしたので,最後まで楽しく学ぶことができました.京極先生との掛け合いは,スピード感とリズムの良さで,まるでプラトンの本でソクラテスが対話するように,いやホームズがワトソンに語るように,それともお釈迦様が弟子たちに語る場面が思い浮かばれ,とっても楽しめました.やっぱり対話型は,頭に入ってきやすいですね~.途中で画像がぼやけてきたのですが,原因がわからず混乱ミステリー要素も加わり,その現象についてもリーズニングが展開されるという演習型オンライン学習でした(後に通信の問題だったことが判明)(笑).

 ところで,リーズニングには,科学的リーズニング,物語的リーズニング,相互交流的リーズニング,実際的リーズニング,倫理的リーズニングなどの種類があるそうです.(詳しくは,寺岡さんのnoteの資料をご参照ください→こちらから)それぞれのリーズにニングは,その時々の目的と状況に合わせて組み合わせて行い,それにより臨床推論を組み立てていきます.これは,様々な視点からの推論を統合して全体像が生まれてくるといったイメージでしょうか.そして,その組み合わせの配分は,メタ的なリーズニングを実施することでいい塩梅にすることができるのでしょう.

 一方で,リーズニングには果てがありません.それはそうです,例えば,誰でもいいですので誰かを思い浮かべてください.仮にそのひとをAさんとしましょう.Aさんのことをどれだけ知っているというひとがいても,Aさんのことを知り尽くすことはできません.自分ですら自分のことを知り尽くせないのですから,(例えば無意識を想定してください)どだいすべてを把握するということは不可能であると言えます.ですから,リーズニングには果てがないのです.

 しかし,だからと言って,「結論は出ない,わからないことが正解である」ということにはなりません.リーズニングは,何のために行われるのか?と問われれば,意味のある,より確からしい臨床を行うために実施するのです.その目的からすると,昨日京極先生が言い当てられていた「答えが無いのが答えという相対主義は間違い」というのは,至極納得ができます.

 わたしたちは,リーズニングにおいて,その時のベストだと思う答えを導き出す必要があるのです.一方で,それが「その時のベスト」であって「原理的な(普遍的な)ベスト」ではないと疑い続ける必要があります.すべては,確率の問題であり,ある時点での現象の確率の高い説明を行う必要があるのです.そして,それは時間の流れとともに,新たな情報(出来事)を通して,更新されるものであると考えられるでしょう.

 では,そのリーズニングの確からしさとは,どう担保されるのでしょうか?

 そのKey Wordとなるのは「共通了解性」と「現在性」ではないかと,わたしは考えています.まず,「共通了解性」についてですが,リーズニングの確からしさは,誰かと共有し,相互了解を経ることで担保されるのではないかと思います.あるリーズニングに対して,みんなが「あーね」「そうだよね」と理解したとき,それは最も可能性が高い,高確率で確からしいリーズニングと言えるのではないでしょうか.しかし,一方でこれは相対主義化する可能性を秘めています.リーズニングの目的が,確からしい臨床につなげるための現状の正しい把握であるのならば,現実との一致性が求められます.それを担保するために,物語的リーズニングの出なく,科学的リーズニングや実際的リーズニング,それを行うひとを規定するような倫理的リーズニングが必要であるのでしょう.このバランスが大事だということになります.
次に「現在性」についてですが,リーズニングはそのとき,そのときの情報を統合して,判断するということです.そして,そのとき,そのときで,その統合された情報に新しい情報をくわえて新たなリーズニングを「更新し続ける」ということです.過去の情報やそれを統合したリーズニング,また未来の可能性やそれをかみした解らなさにこだわったり,執着しすぎないということです.その意味では,「現在性」とは,「中立性」と言えるのかもしれません.とにかく,「今」「ここで」のそのとき,そのときのリーズニングを新たな気持ちで行うということなのでしょう.この態度を精神分析家のW.R.Bion(1897-1979)は,「記憶なく,欲望なく,理解なく」と言っています.(E.Bスピリウス(編集),松木邦裕(翻訳)メラニークライン トゥディ(3)臨床と技法,岩崎学術出版,東京,2000)


このように,あわてて断定するのではなく,熟考し今の状況を抱えながらそこから浮かび上がってくるものをそのまま受け入れる,それをその時々で繰り返す,そのような在り方,態度が重要なのではないかと思います.

 では,そのトレーニングは,どうやって行えばいいのでしょう.

 トレーニングは寺岡さんや京極先生の意見では「場数を踏む」必要があるとのことでした.多くの経験(リーズニングという作業)をとおして,ひとは学びます.これが作業療法の基本概念であれば,リーズニングはまさに「場数を踏む」ことで成長するのだと思います.それは納得できました.
 そして,そのためには,①「本質観取」のトレーニングが適当なのではないかとも気づきました.「本質観取」のトレーニングは「本質をなるべく短い言葉で言い当てる」といったもので,京極先生のセミナーではハイデガーの「存在と時間」に記されている「死」の本質について講義されていました.これは,リーズニングの核の部分となるのではないかと感じています.

 

 次に,②「批判的吟味」のトレーニングも必要でしょう.これは,EBMでも取り入れられているように,思考の幅を持たせ,確からしさに耐えうる本質であるかを試すために重要な要素であり,例えば学術論文などを批判的に読むことなどによって鍛えられるの能力です.また,物語などを呼んで,よりたくさんの視点からの理解を考える思考トレーニングなどもその能力の基礎作りに役立つように思われます.
 また,②「中立性」のトレーニングを行うと効果的であると思われました.いろいろな判断を一旦保留し,対象をそのまま観察し,その過程から浮かび上がるものをそのまま表現する.そういった,注意のコントロールとそれによって得た情報の対象化を繰り返すことが,中立性のトレーニングなると考えられます.そのために,注意(気付き)のトレーニングはもちろんのこと,わからないものをわからないまま抱えていられる(すぐに結論をださない,結論を飛躍させない)能力がポイントとなるでしょう.

 リーズニングは,個人が行う内的な作業ですが,それは自分が思っている他者の視点を織り込みながら実施されます.自分の立ち位置からの視点のみではなく,いろいろなひと(対象者,家族,関係者など)や環境(条件)など様々な視点を組み合わせることが求められます.そして,それらからの情報をバランスよく統合することが必要でしょう.現象に正しく気付き,その現象を正しく受け止める能力,そういった能力を臨床家がどのくらい有しているかにリーズニングの深さと正しさは影響を受けます.リーズニングの能力を高めるために自分を鍛えていこうとモチベーションを上げってもらった今回の #らいすた でした.すべては,良い臨床のために.困っている人が少しでも楽になるように.ありがとうございました.

↓私が臨床(リーズニング)で大切にしていることを書いた記事が掲載されています.(詳細はこちらのblog記事へ) 


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