AIの台頭に見る,時代の移り変わりとひとのありよう

 7月2日,将棋の藤井4段の連勝がストップした.しかし,前人未到の29連勝は素晴らしい記録であろう.この藤井4段は,AI世代である.今では,プロ棋士に勝利するようになったAI相手に練習し,実力を磨いていったと耳にしている.このAIの誕生は,わたしたちの生活に大きな変化をもたらそうとしている.
 現在,すでにAIは様々なものに活用されており,その研究分野も多岐にわたる(人工知能学会ホームページより).その様な中で,SF小説や映画の影響か,人工知能がひとを凌駕しひとを支配するのではないかという危惧がTVで特集されたり,巷で語られるなどしている.ひとは,自らの自信の源である「知能」を追い越したAIに対して大いなる不安を抱いているのである.
 では,なぜ,ひとは自ら生み出したAIに恐怖を抱くのか?
 それは,人類のこれまでの歴史によるのであろう.ひとは,先史には狩猟や採取をして自然の中で自然とともに生きていた.というより,自然に調和し,自然によって生かされていた.これは,移動(遊牧)を意味している.ひとは食べ物がとれなくなるとその土地を放棄し,移動していた.これは過酷な生活である.これを変えたのが,農業革命である.ひとは農業を手に入れることにより定住と所有が生まれた.その場所で定住し,作物を育て,生活の安定を手に入れたのである.それにより,文化が発展する.定点で観測することで科学は発展した.同時に,これまでの自然に調和し,自然の中で生かされるという生き方から,自然と対峙し,自然を征服し,コントロールするという生き方に変化していった.科学の発達は,この自然を知り,自然に手を加え,自然の形を変えることで自分たちにとって生きやすい環境を手に入れようとしていく歴史の中で起こった.加えて,その財産を奪うという行為も生まれてきた.自分たちで自然と向かい合うのではなく,所有の概念の中で,他者のものを自分の物として略奪するのである.もはや,ひとの対峙する相手は,自然のみならず,ひと同士にまで広がった.ひと対自然では,ひとは自然に向かい合い,自然と戦った.相手である自然はある意味人格を持っていた,ひとはそれに畏怖の念を持ち,同時に自然を湛えることもあった.しかし,ひと対ひとの争いの中で,自然は,ひとの対象でしかなく,それは「物」としてしか扱われなくなった.ひとは,自然から人格を奪い,征服すべき対象として,食物連鎖の頂点を奪取したのである.さらに時代が進むと,生産性の向上のために役割分担が生まれ,それは産業革命により確立されることとなる.もはや,ひとは機械に置き換わり,ひとですらひととしてのアイデンティティクライシスに陥る時代となった.ひとは,ひとを征服し,ひとをコントロールすることで支配し,それがよりよい環境を生み出すと思われた時代である.そして,現代もその呪いを引きずっている.
 このような歴史的な背景の中で,ひとは自らの能力を凌駕するAIの存在に恐怖しているのではないだろうか?自らが,その知力によって奪取した食物連鎖の頂点を今度はAIにうまわれるのでh無いかという危惧を….
 これを打ち砕くためには,コントロールと支配を打ち破るしかない.それに代わるものは何か?自然との共生といっても,今さら先史時代には戻れない.さてどうするのか?
 それに対するわたしの考えは一つ.自由の相互承認とそのつながりの多さである.お互いを尊重し,承認することで共に生きる,そういったそれぞれの存在が場で溶け合い,それぞれの存在を越えたつながりを持つ.自他が切り離されるつながりではなく,かけがえのないネットワークとして存在する存在することを受け入れていく.これは,ここが直接つながっているというわけではなく,そのつながりが切れることがあっても,何かのネットワークでどこからかつながっていること言うことを意味する.例えば,AさんとBさんは,直接つながっていなくても,また絶対つながっていないといけないというわけでなく,Cさんを介して,また,DさんとFさんのつながりを介してなど,様々なネットワーク上の関係を通してどこかでつながっているということである.これが成立するためには,存在の相互承認と自由の保障が重要である.お互いを認め合うことで,お互いが関係することを認め合える,その中でそれぞれは相手の自由を制限しない限りにおいて自由に振る舞い,影響を与え合うのである.山根先生の言われる「共生(とも生き)」の社会に似ているのかもしれない.
 このように,ひとの歴史とともに社会構造も変化してきた.私たちも変化すればいい.変わらないものを核として.それを,先日の「ひとと作業・生活研究会学術集会」において山根先生は「動的平衡」と表現されていた.京極先生も「信念対立」を生み出さないために「相互承認」を重視されていた.わたしたちは,これから,征服しコントロール時代から,包み込みコーディネートする時代へと変化していくのだろう.AIとの付き合い方からそんなことを考えた.
 

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