作業療法に想う

最近,作業療法について考えることが多くなりました.今,取り組んでいるマインドフルネス作業療法(MBOT)の研究を通して,作業についても,想うところが多くなっています.いろんなひとの話をうかがい,自分で体験し,感じるところの多さに我ながら驚いているところです.

そんな中で,

やまいで苦しむひとは,だれもがその苦しみから救われたいと思っている.
しかし,その欲望は,多くの失望と共に希望の光を奪い,絶望の闇へと突き落す.
諦めと共に,やまいにあらがうことを諦め,楽になることを願う毎日を眺めることとなる.

ということがこころに浮かびました.

やまいの沼に引き込まれ,日常はいろを失っていく
そのひとはひとりきりで,友の声も遠ざかり消えていく
それでも,そのひとはそこに生きている

そんなときにも,作業(作業療法)は役に立ちます.

朝起きて,ガラスコップに一杯の水を汲む
ガラスから伝わるひんやりとした感覚
力を込めたくなる,そんな思いがそのひとのこころをよぎる
指に力を込めた,その一瞬に伝わってくるガラスのもろさと危うさ
指に込めた力は抜けていた
蛇口をひねる,勢いよく出る水
コップを持って行かれそうになりながら支えると
コップの中で水が踊りだす
水の冷たさにからだが反応をはじめだす
おもむろに口へ持っていき
一口飲む
液体が,口から食道を流れ落ちていく
からだにしみわたり,潤いをほどこしていく
水の冷たさに,そのひとのからだは目覚めようとしている
窓からは,朝日がさしてくる
いつもと同じな特別な一日は,こんな朝から始まっていく

最近気づいたこと
やっと,からだで感じだせたこと

作業療法は,やまいを治すことが主目的ではないのかもしれません.
いのちを助けることが主目的ではないのかもしれません.

ひとの生き方を支援すること
ひとの在り方をサポートすること
それが作業療法の真骨頂なのかもしれません

それを,ある方から学びました
やっと,気づきの入り口にたどり着きました

作業療法は,症状への効果は,作業療法の本当の目的に至る過程で起こる副産物なのでしょう.
作業療法の本当の目的は,きっと,その人自身のいのちとどう向き合うのかなのでしょう.

この一里塚を通り越して,次はどんな気づきと出会うのでしょう?

まだ,その背の全容も分からぬ偉大な先人の背中を追いながら
わたしの旅はまだまだ続いていくのでしょう




3 件のコメント :

  1. ご無沙汰しております。
    以前、鬱の母と作業療法との関わりについてメッセした者です。
    久々に拝見しています。

    そうなんです、諦めるのはとっても簡単で楽になれるんです。
    なので、諦めないでいることはそれだけですごくパワーを必要とします。
    その一番土台の部分がないと、何も習得できない。分野違いですが、小児OTだと子供自身が「楽しい」と思う精神的土台がないと何も入っていかないのと同じなんだけど、あまりに当たり前すぎて意外と見過ごされてしまっていたりしますよね。
    また、特に精神科の医療従事者は、患者に対して諦めを感じることはタブーなように思います。何となく。口に出さずとも。

    人は人によって癒され、認められ、磨かれ、生かされていくんでしょう。
    諦めないことを評価してもらえた上で、小さな「できる」の積み重ねを、その過程を評価してもらえたなら、その人の生き方、在り方をサポートする以上のことができるかも・・・!
    すみません、偉そうな事を書きました。

    ちなみに、
    鰹のたたきですが、「大好きな酔鯨と共にみょうがとポン酢で・・・」というのは月並みな回答なのですよね(笑)
    上の文章を汲むなら、気の置けない人と時間を共有することが一番の調味料かな?でもそれだったら、鰹のたたきでなくても何でもいいわけで。
    織田先生の意図する回答とは違いますか(笑)
    でもいいんじゃないですか?弱みは強みであって、強みしか知り得ない人は弱みを理解できないのですから、織田先生が自分の弱みを知っているのならそれを補おうとすることが強みを知ることになるんだと思いますよ。
    頑張ってください。

    (コメレスは結構です)

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  2. Qqqさん,コメントありがとうございます.
    コメントを拝読いたしまして,改めて自分の普段の在り方を顧みているところです.ありがとうございます.つい,コメントしちゃいました.申し訳ありません.

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  3. Qqqさん,コメントありがとうございます.
    コメントを拝読いたしまして,改めて自分の普段の在り方を顧みているところです.ありがとうございます.つい,コメントしちゃいました.申し訳ありません.

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