作業の力

 ご存知の通り,作業はそれ自体が力を持っています.そこに目を付けた先人たちは,ギリシア時代から作業をとおしてひとの自己治癒力や動的平衡性(福岡,2009)を引き上げようとしてきました.作業は,精神科領域で用いられていましたが,産業革命をきっかけに失われつつあった「ひととしての尊厳」を取り戻すためにも用いられることになりました(京極先生ブログ「作業療法の3つの源流」).これはまさに,リハビリテーションと言えるでしょう.

 作業には,意味性,目的性,具体性,投影性,能動性,身体性,操作性,没我性,共有性という要素を持っています(山根,1999).ひとが作業を行う際に,ひとと作業との関係性の中でこれらの要素がひとに働きかけ変化をもたらします.いわば作業は,ひとの経験をとおして起こる化学反応を起こす触媒と言えるのかもしれません.

 わたしたちは,作業の結果に注目することはもちろん大切な視点なのではありますが,そのプロセスで起こる現象,それ自体を感じることも重要となるでしょう.今,ここで,何が起こっているのか,作業それ自体に注目し,それ自体が及ぼす影響について思考します(思いを巡らせます).そして,それを実行するためには,作業それ自体を味わうことがポイントとなるのでしょう.

 昨日のブログで書いた様に,非日常と日常,機械化による没個性と人間としての尊厳,役割の喪失と自己の存在の確立,それぞれをつなぎ包括して抱えるものは,それ自体をあるがままに抱えるという態度であると考えています.

 この作業の過程が,「ひとを救う」のではないでしょうか?

 そしてそのキーワードとなるのは,「身体性」であるとわたしは考えています.ひとは身体をとおして感じ,行動し,経験します.そして,感情を知覚し,世界に触れ,つながっていくのです.身体性が経験を生み,それ自体をそれ自体として味わうことで,わたしはわたしとなっていくのではないでしょうか.

 そんなことを「今」考えています.そして,ここに記しているのです.


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