京極先生によると,これによる喪失された人間の尊厳を取り戻すことを根本モチーフとして,「アーツアンドクラフト運動」が起こっていきました.(京極先生ブログ「作業療法の3つの源流」)これは,作業療法の根底を流れるモチーフであります.
作業療法の歴史は古く,ギリシア時代にその起源はあるとされています.医学の父ヒポクラテスも患者の回復のために作業を用いており,ヒポクラテスの考えを広めたガレノスは「仕事は天然の医師なり」といって,日常の作業を行うことの大切さに触れています.また,これも作業療法の源流の1つとされる「道徳療法」のピネルも作業に注目した1人です.ピネルは,精神障害者の治療に作業を用いました.
起点にあるのは、精神障害者は治療が必要な状態であり、適切な作業を通して健全な心身を育み、人間性の回復を促進する、というピネルらの実践です。(京極先生ブログ「作業療法の3つの源流」)
このように,病気(疾病,障害)という非日常の状態に関しては,日常性を作業によって取り戻すことで,病気を治癒させる(神田橋先生流にいえば養生でしょうか? 神田橋條治:改訂版 精神科養生のコツ,岩崎学術出版社,東京,2009),または病気があっても自分らしい生活を送ることも可能となるでしょう.
このように,今までの自分を失わせてしまい,非日常の世界にはまることで起こる自分らしさというアイデンティティに対する危機(クライシス)対しては,日々行っている作業,生命維持や関係性保持のために行っている作業,仕事を行い,日常を取り戻すことで,(自己治癒力を向上させ)病気の治癒や上手い付き合い方につなげてきました.
そして,産業革命による人としての尊厳の喪失というクライシスに対しても,わたしたちは作業を用いて,表現し自分らしさを取り戻してきたと言えるでしょう.
それが第1次世界大戦をとおして,作業の医学的応用としての手段化が起こりました.そこでは,作業は,心身機能を向上させる手段としてもちいられたのです.そして,その方法は科学的視点によって大きく発展しました.それはそれで良いことでしたが,もう一度作業自体の持つ力が注目されつつあります.それは,グローバル化や価値の相対化による,依るべきものがなくなりつつある現代に対して当然の揺り戻しともいえるのかもしれません.
そして,AIやITが発展した現代社会では,それが顕著になりつつあります.自分の仕事,役割がAIにとって代わられ,IT技術の発展化により情報が相対化されて,またバーチャル化しています.その様な価値の転換期にあり,新たな社会システムの構築を求められる現代社会において,自分の依るべき存在の基盤として,リアルな作業が求められているのではないかと考えています.と同時に,これまでとは違う戦略や思考が必要となった「今」にどうコミットするのかが?ポイントとなるのでしょう.
今までのような個人主義によるAIとの対峙ではなく,「縁」のコミュニティによる受け入れ,共生のコミュニティへの転換と必要なマネジメントが求められるのでしょう.価値の本質がどこにあるのかを,今までの価値を一旦停止して,感じる必要があるのかもしれません.
話がそれましたが,AIやITの発達による,新たなリアル感の喪失,諦念に似た感情的混乱に対して,新たな作業の出番だと言えるでしょう.今までの,日常的作業,自分を取り戻す手工芸へと続く作業療法の流れをより発展させる,「今」その「作業」自体を味わうMBOTはその役割を果たせるのかもしれません.MBOTをとおし,「今」の感覚,感情のリアルな体験,あるがままに受け入れることでの感情調整による地に足着いた新たな希望の創出にMBOTはつながるのではないかと考えています.その可能性を活かすために,今後も取り組んでいきます.
(参考文献紹介)
(MBOT研修会お知らせ)
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