3つの視点から考える論理性とあいまいさ

わたしは,臨床では3つの視点があると思っています.

1つは,「あのひと(Aさん)はあんなひとだから・・・」という視点.これは,観察者(主観)である自分の存在をエンプティとして,Aさんのひととなりを元々かたまったものとして捉えています.わたしは,この視点から「ニュートンの万有引力の法則」をイメージします.

2つ目は,「わたしが行くと,あの人あんな感じなのよね・・・」という視点.「わたしが行くと」と観察者(主観)である自分の存在の影響を認めたうえで,Aさんの反応をAさんのひととなりから生まれた(決まった形の≒法則性を持った)反応であるととらえています.わたしは,この視点から「アインシュタインの相対性理論」イメージします.アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言ったように,自然現象はある一定の法則性に従っていると考えていたようです.

3つ目は,「今はあの人は,わたしが行くとあんな感じなのね・・・」という視点,「今」という時間と「わたしが行くと」という観察者(主観)によって限定された反応としてAさんの起こす行動(現象)を理解しています.わたしは,この視点から「物理学の量子論」をイメージします.すべては確立の中に分布しており,観察者が観察することで,それは現象として確認されるのです.

多くの方が,3つ目の視点には違和感を持たれるのではないでしょうか?
「みんな,因果関係の中で,生きているでしょ?こうなれば,こうなるって,直線的につながる感じがするし,刺激と反応は一対一で,そこにはパターンがあるでしょ?」

確かに・・・
認知行動療法を始めた頃は,そんな風に考えていました.また,今でも,1つ目や2つ目の視点も重要だと思います.

それでも,人間そんなにしっかりしてますか??もっと,いろんな関係性の中で,もやもやいきている存在であるような気もしています.もっと,瞬間,瞬間に目を向けてみませんか?

ある一定の,しかしあいまいな輪郭の中で,存在している「わたし」.ひとが生きるためには,ホメオスターシスが必要です.ホメオスターシスとは,ある一定の枠の中で常に適応のために変化し続けるということ.むしろ,固定とは「死」を意味するのだと思います.わたしたちは,「生」のために常に絶えず変化し続け,一定の枠の中で確立の波に乗って,現象の中に存在しているのだと思います.

わたしたちの持つ,論理の中での存在とあいまいさの中での存在.その両面からの理解は,臨床上は必要なのかなと思います.

あなたはどうお考えですか??

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