受け入れるということ

今日は,勤務先の忘年会でした.とても楽しい時間を過ごさせていただきました.また,今年の3月で勤続十年が終わったということで表彰していただきました.高知に来て早10年.支えていただいている皆様に感謝です.こうやって,わたしが今,ここにいるのも,臨床を続けられるのも,皆さんに受け入れていただいているからだと思います.こころから感謝いたします.

ところで,受け入れるということですが,わたしには忘れられない顔があります.それは,私の祖父のあるときの横顔です.そう,わたしが小学生の時のことでした・・・.

その話をする前に・・・.

今まで,わたしは多くの方に受け入れていただき生きてきました.その中のひとりに,偉大な臨床家がいます.その方は,もう80歳を超えていらっしゃいますが,いまだに臨床をされております.わたしの職場でも臨床に入っていただきライブスーパービジョンを行っていただいておりますが,ある日の振り返りのことでした.まだまだ若かった私は,自分の理想や理論,タイミングなどからズレると強い違和感を感じて,激しく反発していました.その日も,かなり激しく反発し,感想という形式ではありましたが一方的で攻撃的に発言していました.周りが引いてしまうくらいに・・・.それでも,その先生は,じっと少し遠くを見つめる目でわたしの話に耳を傾けていました.わたしは,なかなか止まらず,一通りぶちまけました.そのあいだ,先生は一言も発せず,黙って話を聞いていました.そう,やはり少し遠くを見る目をして,そして時には目を閉じて・・・.一通りわたしの話が終わると,少しの静寂が場を支配しました.その先生は,その静寂を確認したのち,やや味わうようにもう一度目を閉じた後で,「よし,やろうか」と言って,次のプログラムにむかい立ち上がりました.

諭すこともなく,理由を教授することもなく.それで,終わったのでした.

そして私の祖父の話.それは,わたしが,小学生のことでしたおじいさんっこだったわたしは,毎週のように祖父の家に泊まりに行ってました.祖父も,初孫の私をとてもかわいがってくれ,出かけるときにはいつも一緒に連れて行ってくれていました.

そんなある日の夜こと.

その日は,祖父宅にわたしと3歳下の妹と,3歳のいとこがいました.3人と祖父で遊んでいると,お客さんの女性が来ました.その女性は,1歳くらいのこどもと一緒でした.とてもかわいい女の子だったと思います.その子の,無垢な目は今も記憶とどまっています.そして,その子は,子供たちを祖父のいるコタツのある部屋で過ごすことになりました.その子の母親である女性は,女性陣の会話に盛り上がっていました.小学生のわたしは,何だか少し苛立っていました.自分たちの場を荒らす無垢な乱入者.それを当たり前に許す女性たち.子供ごころに納得いかなかったことを覚えています.そんなとき,その子がコタツの上に乗りました.もちろんコタツの上に乗ることはいけません.いつもは,調子に乗ってコタツに乗るわたしに祖父も注意していました.しかし,その日は,その子に祖父は注意しません.まぁ,当たり前のことですが・・・.そして,女性陣も気づかず話に夢中です.わたしは,激しい苛立ちを感じました.祖父は,「その子の味方なのか!!」そう,思ってしまったのです.そして,ついに,「あの子には,注意せんのおかしいやん!!」祖父にぶつけてしまいました.本当に言いたいのはそこじゃないのに・・・.そして,3歳のいとこに「コタツの上のっていいよ.おじいさん,あの子にはいわんけん!!!」もう最悪.自分でやらずいとこを煽る.すると妹も「そうよそうよ!!」とのっかてくる.言われたいとこは,3歳だから訳も分からず,コタツの上ではしゃぐ.なんだかむしゃくしゃしたままでしたが,それをどうすることもできず.なんだかぶち壊したい感覚が残っていました.ふと,祖父の横顔が飛び込んできました.何も言わず,ただ少し遠くを見る目をして,じっと黙っている祖父.その眼は,少し憂いを帯びている感じが小学生のわたしにも感じられました.あぁ,なんだか申し訳ない.でも,もう引けない.

葛藤

それでも,祖父はなにも言わず.じっと私たちの方をその向こうを見る目で見ていました.その時,祖母がやってきて「コタツの上に乗ったらいかん」と一喝.緊張は一瞬で緩和になりました.

いまでも,その時の祖父の顔が忘れられません.あのとき謝ることができないまま,今に至っています.今では,祖父の気持ちが少しはわかるような気がする年になりました.わたしは,祖父のように誰かを受け入れることができるでしょうか?祖父の恩返しのためにも,そんなひとにわたしもなりたいものです.祖父は,私の尊敬する師匠です.

1 件のコメント :

  1. 「・・・,一通りぶちまけました.そのあいだ,先生は一言も発せず,黙って話を聞いていました.・・・・そして時には目を閉じて・・・.一通りわたしの話が終わると,少しの静寂が場を支配しました.その先生は,その静寂を確認したのち,やや味わうようにもう一度目を閉じた後で,「よし,やろうか」と言って,次のプログラムにむかい立ち上がりました.」 臨床に求められる器の広さというか、発言に対する応答のあり方を考えさせられる文章です。・・・・これを読んで思い当たるポエム「 ・・賢しい知識より、人としての深み・・・」という山根先生の言葉です。ひととしての「魅力」。わが母校の校訓「博く学び 深く思いて、厚く思いやる」。他人を暖かく・・・。
     今年の2月に 敬愛する山根寛先生を迎えて、愛媛作業療法学会がありました。この学会で感じたことをニュース(四国OT?、愛媛?)原稿にまとめたことを思い出しました。このニュースに投稿した内容を、いま引用します。
     「・・・愛媛で敬愛する山根寛先生を迎え、作業療法の「魅力」や「強み」を再認識できた。写真は、この早朝、山根先生と澤田会長の3人で散歩した東の空です。いま見える作業療法の未来に見えました。そして学会で師から「援助者の技術を深め、広げるには、「感性mind&sense」、「技art&technique」、「言葉」であり、これが不十分なところの「知識」や「How to」は行き詰る。」と聞いた。今回学んだ師の言葉に微妙な色を加えてみると『真の援助者に求められるは、賢しき知識や技術ではなく、ひととしての「深み」や大きな「愛」。治療原理を使うOTRの「器の大きさ」や「感性」が、これを可能にする。深く思うことで、その知識や技に磨きがかかり、思わざれば危うし。「言葉」が深みを与え、ひとの「脳」とひとを動かす。言葉が体験に括りをあたえ、良くも悪くもしてしまう「内なることば」のマジックを如何に利用できるかにか、OTRの「感性mind&sense」、「技art&technique」がとわれる。「美」や「肯定的な情動」は、ひとを動かし、癒す力の波動をもっている。』と聴いた。
    山根哲学に魅了され、山根先生との早朝散歩にも癒された学会でした。・・・」と投稿しました。 
     多様性を「受け入れる」ひととしての器の大きさ、「深み」など、真の援助者としての「姿勢」やそこに存在する援助者としての「哲学」がある。これを実践できる作業療法士に、お互いなりたいですね 
      

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