自転車の乗り方

 職場が変わってから,晴れの日は自転車で通勤している.ご存じの通り,自転車はサドルに座り,ハンドルを持って方向を定めたうえでペダルを踏み込んで進む.今まで,ペダルは踏み込むものと思っていた.

 しかし,昨日のことだった.いつものようにサドルに腰掛け,ビルの6階くらいの位置にある家から一気に坂を下っていく.なんとまぁ爽快なことか.少し肌寒いと感じるくらいの澄んだ空気が通り過ぎてゆく.ブレーキを握り,時折スピードをコントロールしながら,流れる風と一体化する感覚.すげぇー気持ちいいぃ~!!

 そして,平坦な道に出て・・・.ここで,ペダルを踏んではいけない.惰性に任せて進む自転車に身を任せ,乗っている.タイヤから伝わる振動に自分の不摂生な毎日を悔やむ.「ああ,やっぱり痩せよう」そう毎朝,次につながらない反省を繰り返す.そんな反省は,自転車を降りちゃうと忘れてしまうものなのだ(涙)そして,その反省を打ち消すように「もう少し空気入れとけばよかった・・・」悪魔のささやきが聞こえてくる.わたしの怠惰,自分への甘さは,マイ自転車のタイヤの自己犠牲の上に成り立っている.いやタイヤだけを採り上げるとスポークが怒るかもしれない!!それだけ,わたしのわがままボディは,わたしの大切な愛車に負担をかけている.いやいや,身体すらしんどいのだ!!もう少し体の声に耳を傾けよう.とかいろいろ考えるが,これだけ考えるのに所要時間は0.3秒,流れる時間は一瞬で,すぐに切り替わる.いろいろ考えるのは疲れるのである.そして,勝手に私の頭にメロディが流れてくる.流行歌のこともあれば,懐メロのこともある.演歌のこともあれば,モーツアルトやベートベン,ショパンのこともある.唱歌のこともあれば,子どもの小学校の校歌のことだってあるくらいだ.とにかく,音楽が流れる.そんなときには,わたしの頭は空っぽになる.ただメロディが流れているのだ.しかし,副作用もある.気を付けないと,いつの間にか口づさんでいることもあるからだ.これは,かなりヤバい!!一応,近所の手前もあるし,通勤には同僚や学生の手前もある.家族もいるし,娘の投稿に出くわすこともある.気付かないままの幸せもあるが,こういう時の人からの指摘はむちゃくちゃ怖い.かといって,自分が気づいた時の恥ずかしさも半端ない.ということで,気持ちいい時間は,恐れの時間でもあるのだ.常識人にとって,理性がはたらいていないオートマティックな自分は脅威である.

 ということで,反芻する考えやオートマティックな自分に支配されないように,わたしは細心の注意を払って自転車に乗る.


 で,昨日気付いたこと.それはペダルは踏み込んではいけないということだった.進む自転車の流れにからだを一体化させ,そのままいる.そうして,ペダルの上に足をのせる.単に乗せるだけ.置いておくだけ.そうすると,ペダルが自然に動き出す.それに一体化した足がついていくのである.その感覚のうちにスピードが乗っていく.風と一体となる.イメージは,颯爽と駆けるスマートな青年.しかし,通り過ぎる車の窓に映る姿は,自転車に乗せられている熊のような40過ぎの豆タンクおっさん.大きなギャップ,現実にさらされる.でも,そんなこともこの心地よさの前では,一切関係ないのである.この勝手に作成されるイメージの世界で私は生きていたい.そう思う瞬間.

 誰もが,イメージの世界に生きている.現実とのギャップはありながら,それでもイメージを調整してこの世界を作り上げている.他のひとのイメージと調整しながら.共同幻視でこの世界を成り立たせている.

 自転車にのっているわたし.自転車に乗せられているわたし.自転車と私.私自転車.いろいろあるけど,自転車に乗って今日も出勤した(笑)

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