わたしたちは,未来を生きることはできません.ですから,想像の中を生きることになります.想像がはっきりしている場合,それは信念に似たものになります.それが自分にとって快いものだったらいいのですが,自分にとって不都合な,受け入れがたい内的現実(より現実的なイメージ)となりますと苦しくてどうしようもないのです.他方,想像が自分にとって快いものであっても,そのイメージ(世界)が社会(周囲)から外れた(不適応な)ものであれば,周りからの攻撃や非承認を受けることになり,自己愛的な世界にひきこもり周囲を困らせることになります.(過去のBlog記事「ありのままとあるがまま」参照 詳しくはこちらへ)それは,お互いにとって不幸です.
また,未来に対する想像が曖昧なものである場合,対象がはっきりしない不安に襲われることになります.余裕がある時はいいのですが,余裕がない場合,未来に対して漠然とした不安を持つことが多いです.これは,過去のネガティブな経験とつながって,より増強されるものです.
かといって,わたしたちは過去を生きることもできません.時間は確実に流れているのです.ですからこれもまた,イメージの中を生きることになります.過去に囚われると,怒りがわく.または,自分の中の無力さに絶望する.自由を失い,余裕がなくなり,息苦しさの中でもがくことになります.そうなると,他人にも自分にも,ひと全般に対して寛容では居られなくなってしまいます.
なによりも,過去を生きても,未来を生きても,自分らしく生きられなくなります.それでもこの世界に生き残ろうと必死に対処した結果が,周囲から非承認を受け,また周囲に悪影響をもたらすことにつながりかねないのです.
だから,「今」を生きるのです.過去でも,未来でもなく,リアルな「今」を生きること.わたしたちは,「今」この瞬間を生きており,存在しているのです.
では,「今」をどう生きるのか?
わたしたちは,何かをして「今」という時間を紡いでいます.わたしたちは,何かをして「現在」を「ここで」命をつなげている,生きているのです.
そして,「何かをすること」を「作業(=occupation)」と呼びます.ですから,ひとは「作業」をすることで,「今」を生きるのです.
「作業」とは何か?
作業療法では,作業を「経験」であると言っています.(詳細は京極先生のBlog「経験の仕方を変える」をご参照ください 詳しくはこちら)わたしたちは,「今,ここで」あるがままに「作業」に取り組むことで,「経験」をし,わたしたちの「生」を形作っているのです.「命」を灯しているとも言えるのです.その意味では「経験」はそのひとの命(人生)の豊かさを表していると言っても過言でないのかもしれません.
そして,「経験」は,過去からの積み重ねであり,未来への橋渡しでもあります.ひとは,「経験」を通して過去を振り返り,未来を思い描くのです.そういう意味では,「経験」は,ひとの「生きる」を形作るとも言えるのかもしれません.
いづれにしても,「今」目の前の作業をあるがままに体験する.その現象,,それ自体による「経験」は,そのひとの「生」を豊かにするのだと考えます.もちろん,未来につなげるための「作業」も大切であるとは思いますが,「作業」それ自体をそのまま味わうこと,それによる良質な「経験」が作業療法における重要な「作業」の力につながるのではないかと考えています.いろいろな「作業」の形を「今」につなげる,それがマインドフルネス作業療法(MBOT)なのです.
「作業」を通して「今」にとどまる.もちろん,それはそれで意義深いことですが,同時に作業療法では「作業」という「経験」を通して「未来」につなげることもできる.「今」を生きること,それ自体を味わうことは,未来を生きることにもつながる.それが作業療法なのです.
ねっ,いいでしょ!!(笑)
(※上図は,織田の個人的な考えです)
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