それでも,わたしたちは過去に執着する性質を持っています.「あの時,ああしていたら・・・」とか,「どうしてこうなってしまったんだろう・・・」とか,過去を悔やむ時には,そのことばかりを反芻しそこにとどまっています.そういった,エピソードは思い浮かびやすく,納得しやすいのではないでしょうか.しかし,それでも時は流れています.そういった思いを何とか抱えていると,時の流れの中で変化します.「諸行無常」と言われるように変わらないものは何もないのです.そのことについては,MBOTについての記事の中で何度となく触れてきました.
そこで,今日は過去にとどまるもう一つの例,何かを獲得したとき,何かに成功したときについて述べたいと思います.
ひとは誰でもそうだと思いますが,何かに取り組み,それを必死にやって,何かを達成した時に,歓喜の感情と共にそれは記憶に刻み込まれます.そうして,それは成功体験として自分を形成する一部となるのです.特に,努力して,工夫して,苦労して,そんな経験を繰り返す中で何かにたどり着く,そのときに「わかった!!」という感覚,いわゆる「気づき」を得ます.ひとつの頂点に極みに辿り着く,その瞬間です.
その瞬間はまさに出逢いです.その感覚,その気付き,それに出逢った時,ひとの脳にそれは強烈に刻み込まれます.一種の閃き,それは本当に貴重な出会いとなるのでしょう.そういった経験は,多かれ少なかれ,強かれ弱かれ,誰にでもあるものでしょう.その気付きだけで,一生ごはんが食べられるくらい貴重な「経験」になるでしょう.何かをすることで,辿り着く「経験」それを作業療法では利用することは昨日お話ししました.(『「未来」に向けて生きる「今」』を参照 詳しくはこちら)
「作業」を繰り返し「経験」を積み重ねることで得られる,特別な「気付き」という「経験」をすると,ひとはそれを強烈に意識し,ずっとそれを思い返している.苦しいときにはそれにすがる.それは,貴重な経験で,ひとを変えるパワーを持ちます.そういった経験をできることは素晴らしいことです.それは間違いがありません.しかし,それでも,そういった経験をしたひとにも,時は流れているのです.
時に作業の効果である「良質な経験」すらも,執着につながることがあります.例えば,それは「老害」と言われる現象に見られることもあります.それは,見ていて痛々しいものです.しかも,周囲との軋轢を産むこともあります.みんな流れる時間の中で生きているからです.気づいたら,自分だけが浦島太郎状態になってしまいそうです.
そう,時は流れているのです.ですから,ガンジスの河で身を清めるように,時の流れに身を浸して,得た「気付き」すらからも身を清め,時の流れのままに身を任せてみることも重要じゃないかと思うのです.
って,今は思っていますが,もう考えが変わっているかもしれません(笑).でもいいのです.だって「今」を生きるのですから.いつも新しくアップデートされていくのが「経験」のもう一つの側面なのでしょう.MBOTからの考察でした.
(日の出の写真:同じ朝はないし,明けない夜もない)
マインドフルネスの参考文献
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