1.ひとは相手から受け入れられなかったときに傷つく
一般に自分が正しいと疑ってもいないことを他者に受け入れられなかったときに,ひとは否定されたと感じて傷付きます.そして,その後の反応はまちまちです.例えば,怒りに声を震わす人もいるでしょう,キレてまくし立てるひともいるかもしれません.反対にいじけて無視するひともいるでしょうし,悲しみに涙を流す人もいるかもしれません.いろいろなひとによって,場面によって,いろいろな反応がありますが,少なくとも否定されたと感じるのは間違いないでしょう.2.ひとを傷つけてでも生き残るディベート
ディベートとは,討論と訳されますが,あるテーマに対して自分の立場を鮮明にさせたうえで,自分の立場の意見を正当化し相手の意見を論破することを目指します.相手を論破するということは,相手を否定することにもつながってしまいます.勿論,正当性を争うというルールの中で行いますので,それは仕方がないことなのでしょうし,お互いに分かったうえでやっているのですが,それでも時に熱くなったり,自分の意見に確信が多くなれば自分自身が否定されたように思ってしまいます.ディベートというルールの中の特別な空間でもそうなのですから,日常の意見の対立でしたらもっと激しいことになるのは皆さん経験されていることだと思います.日常生活の中では,相手を傷つけてでも自分の意見を通し,生き残ることがその第一の目的となりがちになります.3.誰もが持つ誰かを傷つける可能性
自分の確信した意見の正当性を前面に掲げ,相手を論破しその意見を否定することで自分たちの正当性をより確立させる.そうして,対立を生き残り,競争を生き残り,絶対的な正しさを確立する.それが,ディベートやディスカッションに象徴される論理至上主義を基盤とした社会の1つの様相といえます.これは,ある意味において強力で,絶対的な方法であることは間違いありません.実際に近代社会において,論理至上主義は科学を発展させ,人々の生活様式を一変させました.現代社会は,この恩恵の上に成り立っており,その構造を今も基盤に持っているのです.
しかし,同時に生きづらい世の中とも呼ばれます.若年者の自殺は先進国で第一位であり,みんな不安を抱えながら生きている今の社会は幸福な社会といえるでしょうか?そう,知らないうちに誰もが傷ついており,また高い傷つく可能性を負わされているのです.そして,正しさを主張するあまり,気づかないままに誰かを傷つけている可能性があるのです.
4.誰かを傷つけることから脱却するために
このストーリーから脱却するためには,そもそもの論理主義というゲームから脱却する必要があります.わたしは,その可能性を対話(ダイアローグ)に感じています.では,どうすればいいのか?
先ず第一に,論理主義的なゲームを根底から覆すことです.信念対立解明アプローチでも紹介されているように,「何かへの価値はそれに参加するひとが生み出すもの」です.(詳しくは以下の書籍をご確認ください)
1)論理主義の持つ価値を一旦停止する
ですから,論理主義に与えられている絶対的な価値を一旦停止してみることが重要になります.これは大変なことです.論理主義は,近代以降多くの人々の経験と実績に基づいて確立されてきた価値であります.いわば自明の理であり,この考え方は体に染みついています.それを一旦停止するというのです.
2)どうすれば論理的な思考を一旦止めることができるのか?
それは,身体に問いかけることになります.論理的な思考は,その言葉通り,ロジックによって生み出されるものです.それに対する手段としては,思考を離れ感覚に一度ひたってみることでしょう.その時,感じているものをそのまま感じることになります.思考が出そうなときに,その時感じている感覚,直感にひたってみるのもいいのかもしれません.
3)結論・決断を保留する
わたしたちは,何か話し合うとき結論や決断を出すことを目的として話し合うことが多いと思います.しかし,結論や決断をするというのは,どうしても価値判断を優先することになり,そのアイデアの優劣をつけることになります.それでは,論理的思考から離れることはできません.それを一旦保留する手間には,決断を急がない,わからないものをわからないままにしておくことも重要なのだと思います.そして,「ああそうだ」と思うその瞬間まで待つのです.
4)相手の意見を尊重する
相手の意見のほころびを探すのではなく,そのアイデアの根底にある発案者の想い主張を文脈的に理解するというのもいいでしょう.自分がだした意見同様,相手も何らかの思いによって意見を出している,その意見の根底にある者に対してリスペクトするのです.
5)相手に向けて言葉を発するのではなく,言葉を「場」に置いてくる
相手に向けて意見を言うとその言葉はどうしても牙をむいて相手に襲い掛かるようになります.それが論理主義の言語ルールだからです.しかし,ダイアローグの場合,言葉は誰かに向けての者ではなく,「場」に置いてくるように話します.それをその「場」を共有している出席者が思い思いに拾ってくるのです.勿論,自分で「場」に置かれた自分の言葉を拾ってくると言ったように内省的に機能することも多くあります.まさに「自戒を込めて」というのはこの機能であるでしょう.言葉の牙を抜くのです.
5.まとめ
論理主義のディスカッションやディベートでは,相手を傷つけるということが起こります.それはルールの中で行われることとしては仕方のないことですが,それが日常になると否定感情が強くなりがちで傷が深くなる危険性があります.それに対しては,ダイアローグの持つ力が注目されます.そのポイントは,1)価値を一旦停止する,2)身体感覚にひたる,3)結論・決断を保留する,4)相手の意見を尊重する,5)言葉を「場」に置いてくる,といったものがあります.言葉に牙を抜いてみるのも一つの方法としてトレーニングしてみませんか??
※参考文献
0 件のコメント :
コメントを投稿