1.からだに問いかける
MBOTを実施するときに姿勢についてガイドすることがあります.その際には,「自分が『いいなぁ』と思うような姿勢をとってみてください」とガイドすることがあります.そう言うとほとんどの場合,背筋がスッと上に向かって伸び,座面は安定するように落ち着き,足は地面に密着する,そんな姿勢に変化していきます.
その時の体験を振り返りで訊いてみると,「背中が丸まっているのが感じられて,グッと伸ばすと気持ちが良かった,シャンとした」とか「ドシッとイスに重心をのせて座ってみると何だか安定した」など,多くの方が身体感覚から語ってくださいます.
「いいなぁ」と思うような姿勢をからだは覚えているのです.
2.イメージではなく『今』感じているもの
からだが保有している「記憶」を引き出しながら,参加されている方は姿勢を整えています.だからといって,イメージにこだわっているわけではありません.鏡を見て「(頭でイメージする)こういう姿勢でなければならない」とか「(今まで知識として得てきた)いい姿勢とはこうであるべき」とか誰かに見てもらって「良い姿勢になっていますか」ではなく,今その瞬間に自分が感じている身体感覚にこころを開いて(注意,気づきを向けて),自分の中でしっくりくる感覚を捜し,微調整しているのです.いわば,自分のからだと対話しているのです.
3.何のためにを一旦置いておく勇気
ひとは,何かをするときにその「意味」を知りたくなります.例えば,「自分が『いいなぁ』と思うような姿勢をとってみてください」というガイドには,「それはどんな姿勢なんだろう」「『いいなぁ』とはどんなイメージなんだろう」「これをして何になるのか」などその目的や意味を問うような疑問が頭に浮かびます.その目的や意味を問うことで,その行為の正しい方法や正当性,価値を見出そうとすることが多いように感じます.しかし,それは「今,ここで」の体験を置き去りにし,頭の中のイメージに置き換えてしまう危険性をはらみます.からだの「記憶」を頭のイメージに置き換え,それにこだわりとらわれてしまうのです.適応を求め安心を得るがゆえの,正しさや価値を求める思考は,かえって自分自身を縛ることになります.したがって,一旦,自分自身にひたる勇気が必要となるでしょう.
4.からだとの対話からえられるもの
思考から一旦離れ,体験していることからえる感覚を手掛かりにおこなわれる,からだとの対話の中で何が生まれるのでしょうか.それは,あるがままの自分の受け入れだと思います.「一般的にいいと言われる姿勢」「周りから評価される姿勢」といったイメージの世界から脱却し,自分の身体感覚に基づいた新たな身体像を生み出し,自分との対話を続けていきます.そうやって,自分に気づきを向けることで,自分との対話が進み,それをそのまま感じ受け入れることにつながるのではないでしょうか.本当の意味での「本心」と出逢い,何の紛れもない「自由」を体現できるのではないでしょうか.
5.一緒にいる誰かの存在がもたらす相互補完
MBOTでは,「基本に戻る」が重要であることは以前のブログ(MBOTにおける基本に戻ることの意義)で述べました.同じ研究(参照:織田靖史, 京極真, 西岡由江, & 宮崎洋一. (2017). 感情調節困難患者がマインドフルネス作業療法 (MBOT) を実施した際の内的体験の解明. 精神科治療学, 32(1), 129-137.)ですが,「基本に戻る」ことと同じように重要なポイントとして「仲間の存在」があります.
MBOTは個人でも実施しますが,臨床では作業療法プログラムとして実施することが多いため,集団で実施することも多くなります.先に示した研究によると,「仲間の存在」がドロップアウトしそうになった時の支えになるようです.特に,第2フェーズで治療効果を感じ自己流になっているところから,再度「基本に戻る」経験をしている″しんどい”時期に「仲間の存在」を意識することが多いようです.
これは,存在の相互承認につながるものと考えられます.からだとの対話を通じて,自分自身と向かい合い,「自由」を手にする.それと同時に「仲間の存在」を意識し,支えあいの「力」を感じることでお互いの存在を相互承認しあう.自由と共有,調和がそこに生まれる,そんな気がしています.
6.まとめ
MBOTでは,「正しい姿勢」がもつ意味とは,自分のからだとの対話にあります.イメージではなくm,リアルな感覚を頼りに,自己と向かい合うことで自由を得られます.そしてその時には,周りの人の存在が重要となります.自由と相互承認.それがキーワードとなるでしょう.
0 件のコメント :
コメントを投稿