自由のためのとらわれない生き方

1.自由であること

ひとは,何かに縛られて生きることは苦痛になります.ですから,自由であることは素晴らしいことであることは,よほどの状況がない限り誰とでも共有できることだと思います.自由であるから,ひとは思い通りに自分の人生を謳歌できるのです.

 では,自由とは何か?

 「自由とは何物にも縛られず思うがままに生きること」であると考えられます.

 では,何でもありなのか?

 答えは,「否」です.自由が何でもアリでしたら,自分の自由が他者の自由を損なうことになるかもしれません.ですから,原則として他者の自由を侵害しない範囲において自由は認められます.しかし,時には関係性の中で,自分の自由を制限しても相手の自由を保障する場合もあります.相手をたてるときなどや世話をするときになどには大いにあるでしょう.この場合,関係性の中での相互承認がキーワードになります.相手の立場や価値観などを相互承認したうえで,自由範囲を自由な裁量で決定する.すなわち,共有できるところをわかりあうことを目指すのです.

2.価値を保留すること

自由であるということは,何物にも縛られないということです.したがって,自分を縛るような価値を一旦停止する必要があります.この価値観は,信念と呼ばれるもの礎であると考えられます.信念は,拘りや執着につながり,思考の柔軟性や創造性を奪っていきます.見えてる世界が狭くなってしまうのです.その自分を規定するような信念の源となる価値観を一旦停止(アポケー)し,あるがままに現象を捉え,あるがままの自分自身を感じることが重要となるでしょう.
 ここで,あるがままとありのままの違いについて考えていきましょう.あるがままとは,現実の環境との関係性の中で今あるままに受け入れるということ,ありのままとは自分の世界の中で思うがままの姿でいること,と定義づけします.その定義から考えると,ありのままでは,他者の自由を損なう可能性があるため,あるがままでいること,今のそのままを受け入れることが重要であると考えられます.
 とにかく,ある価値観を一旦停止し,あらゆる角度から考え,相互承認できる価値を共有することが重要でしょう.

3.そのためにできること

そのためには,対話を続けることです.一般的にディベート,ディスカッションは論理的に立場を鮮明にさせ,絶対的な価値を鮮明にするために実施します.それに対して,対話(ダイアログ)は,それぞれの立場を尊重し,折り合いをつけること分かり合えることを目的に行います.価値観が多様化し絶対がない不安から.ある価値観に縛られる可能性が高くなっている今のわれわれには,価値の先鋭化と同時に対話を通じた価値の共有が必要であるように思います.

次回の予告

対話を実施するためのトレーニングについては,また明日.



 





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