対話(ダイアローグ)に感じる新時代への突破口

1.不安定な現代社会

最近,社会を二分するような意見の対立が多く見られます.政策や政治家の発言から芸能人や著名人のプライベートまで,SNSを中心に激しい意見が飛び交いぶつかり合っている光景が見られます.どちらも絶対的な正義を語り,論理的に相手を論破しようと論戦が繰り広げられます.一方で,論理が破たんしているように感じられる場合にも自分の中で当たり前に構築された正しさから感情的に発言することがあるように見受けられます.いずれにおいても,相手を打ち負かし,自分の考えの正当性を確保し,その思考が生き残らせるために対立が激化する構図がそこにはあるように思います.

一方で,社会は相対性の中で成り立っています.絶対的な正しさを求めても,それは時代やその時の状況や環境,ひとの欲望や関心により,それは変化してしまうものです.ですから,例えば対立する思考(信念)との闘いに勝ち,相手を論破し,自分の信念への正しさを得たとしても,それもすぐに新しい信念との対立を迎えることになります.

このように考えると,闘争の毎日には安定がないことが危惧されます.正しさへの絶対化は,相対化される価値観へのアンチテーゼなのかもしれませんが,それに固執することは,対立と闘争の毎日を意味します.その先には,血みどろの争い,そして荒廃した「場」,心身ともに疲弊したひとの姿が透けて見えてくるような恐ろしさも感じています.(勝ち続けている間は大丈夫なのかもしれませんが・・・)


2.閉塞感にとらわれた社会

論理的正しさの絶対化への崇敬は,近代社会を著しく発展させたことは間違いありません.一方で,ある程度様々なものが成熟した今日では,その発展のスピードが鈍り,閉塞感を感じずにはいられません.そのような状況下で起こる論理的な正しさを絶対化するような態度は,闘争のスパイラルを生み出し,論理的限界という決められた枠の中での激化する争いに,より閉塞感が強化されている,そんな状況が現代社会の構造ではないかと危惧しています.

絶対的な正しさという価値観(信念)同士の対立は,相手を完膚なきまでに打ちのめし,叩き潰すまで続きます.すなわち,論理的正しさを確立する過程で,対立する思考を完全に論破し,その考え方を完全に否定し,時には相手の存在すら葬り去るのです.排除の歴史といえるでしょう.一方で,正しさは相対的なものであり,ある時に確立されている正しさも,いずれは変化していくものであると言えます.このように,あるときには絶対的とされた正しさも移り変わっていきます.本当の意味で絶対的ではないのです.

しかし,その正しさの変化も論理的枠組みの範囲から飛び出すことはできません.正しさの担保が論理的正当性であるならば,論理的枠踏みの中で正しさの移り変わりが続きます.ここに閉塞感が生まれます.新しい正しさも,古い正しさも,論理的枠組みの中で時代を打ち破るような大きな変化のないままにマイナーな変化を生み出すために大きなエネルギーが使われている印象が強くなっています.


3.この閉塞感を打破するためには

では,この状況を打破するためにはどうすればいいのでしょうか.

その答えとして,わたしは対話(ダイアローグ)に可能性を見出しています.しかし,その前提として確認しておきたいのですが,わたしは勿論のことですが,論理的枠組みがいけないと言っているわけではありません.むしろ,論理的枠組みは大切なものですし,確からしさの確立のためには,論理的枠組みは絶対に必要な視点であることは疑う余地もありません.問題は,それのみしか見えなくなったときです.ひとつの価値を絶対化したときに悲劇は起こるのだとおもいます.

対話(ダイアローグ)とは,お互いが分かり合えるために行うものです.論理的枠組みでは,ディベートやディスカッションが行われます.ディベートやディスカッションは正しさを確認し方針を決定するためのものです.そもそもの概念が違うため,方法も異なり,その結果も異なります.

重ねて言いますが,どちらがいいとかいう問題ではありません.それは論理構造の中の問題意識ということになります.違うものを取り入れるその姿勢,態度が重要なのです.ダイアローグがもたらす可能性は,このように多様化した価値に等価的に意味を見出すということをもたらす大きな可能性を持つのです.

4.ダイアローグによって何が得られるのか

ダイアローグによって価値の等価性が行われ,それ自体をそのまま受け入れることができるようになると考えられます.ある論理的思考によって確立された正しさのみに従うのではなく,等化された他の正しさもそのまま受け入れてみるという新たな価値の創造の可能性がそこに見出されるのではないかと思います.これにより,OBP2.0の様なメタ理論が持つポテンシャルがよりひきだされる可能性を感じています.

メタ理論は,それを体現する具体的な方法が実装されることにより,そのポテンシャルが大いに引き出されます.今回,ダイアローグという方法は,OBP2.0に実装された信念対立解明アプローチの効果も高めることになり,さらにOBP2.0の哲学に基づく方法が実装されることでそのポテンシャルが最大限に引き出されるものと考えられます.この最大の恩恵は,不毛な争いが減り,よりお互いが尊重しあった中で,より創造的で適切な方法が遂行されるということでしょう.そして,論理主義の限界であった対立的論争による閉塞感を突破する世界の広がりをもたらす可能性を見出せるといったところにダイアローグの意義があるのではないかと考えています.

5.まとめ

論理至上主義では,繰り返される対立による争いから社会は閉塞感を感じてしまいます.それに対して,ダイアローグを用いると,今までの対立様式にはこだわらない仕方での確からしさの確立が起こります.論理的思考過程とダイアローグによる相互理解,自己理解の過程をバランスよく行うことで新たな価値の創造などの可能性が広がると思われます.







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