今を生きることの大切さについては,京極先生もブログ「その日暮らしのススメ」(詳しくはこちら)で述べられています.
ヒトから数えたら、約699万年ほど狩猟採取社会でやってきたんですから、長らくDNAにしみついているのはその日暮らしの感度です。
狩猟採取社会では、その日に食べられるだけ食べて、必要なものだけもって移動しながら生きるしかないわけで、先のことなんて気にしたってしょうがありません。
もちろん、その日暮らしでも不安になることはあるでしょうけど、いまだ経験したことがない未来にしばられて生きるよりも、いまに集中しながら生きるぶん不安は少ないはずです。
きっと,わたしたちは今を生きることにたけているのでしょう.というよりも,体感できない空想の世界である未来を感じることには,まだまだ追いついてないのでしょう.ここに認知と身体の乖離がみられるのではないでしょうか?ひとの身体性が,ひとが認知革命で得たひとらしさの源ともいえる脳の認知機能の一部である空想する能力に追いついていたとするならば,バーチャルリアリティを自分の身体性の拡張により体感的に経験することができていたらば,ひとは未来を生きることにストレスを感じていないのかもしれません.
しかし,(残念ながら?)それはできません.だから,ひとはリアルに体感できる世界である「今」に根ざすのです.ヒトは身体を通して,ゆるぎない「自分の存在(命)の根拠」の確からしさを把握するのです.
では,「今」を生きるためにはどうすればいいのか?
このヒントは,いまのひとのDNAに刻まれた「今を生きる」ということの元である狩猟採取の時代にヒントがあるのでは無いかと考えています.狩猟採取の時代には,食物(特に植物)が豊富で,ひとは食物を得るために1日3時間の仕事「狩猟採取」をすればよかったということが言われています.それ以外の時間は余暇の時間であったのです.すなわち,余裕がある時代でした.これが,農業革命で明日を夢見るようになり,所有を持ち,しなければならないことに時間を取られるようになってから,人の生活は変わりました.そうして,争いとストレスがひとにのしかかるようになりました.
このことからわかることは,わたしたちが「今」を生きるために必要なことは,①余裕を持つこと,②身体を通してリアルな感覚に注意を向けること,③命をつなぐために必要な作業に従事すること,だと考えられます.
自分自身が作業に従事すること,その時間を作ることは,今に意識を向けることを忘れるくらい,目まぐるしく移り変わる現代社会を生き抜く上においてとても大切なことではないかと考えています.
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