わたしたちも,現代社会において「情報」との付き合い方は非常に重要となっていることは間違いありません.この高度情報化社会において,天災や安全保障など命に関係する情報はもちろん,食べ物やショッピングの情報まで,情報を手にし,それを活用することで生活が変わることは間違いありません.わたしたちを形作る「生活(経験)」は,情報によって構成されていると言っても過言ではないでしょう.
科学技術,特に情報化社会におけるIT技術の発展により,わたしたちの情報収集の手段も変わってきました.ひと時代前は,情報は自分で収集するものでした.図書館や新聞,ラジオなど,自分から情報にアクセスすることで情報を得ていました.しかし,現在では,ツイッターやフェイスブックなどSNSに代表されるように,自分から探しアクセスしなくても,情報の方から自分に飛び込んでくる時代となっています.
また,ブログでは他者の目を通して評価された情報が入り,インスタグラムでは他者の経験を通した情報が配信されてくるのです.
このように,情報にアクセスする主体であったわたしたちは,情報を受け取るという客体へと変化し,同時に自らの主体的な経験の一部として組み入れられた情報はいつの間にか他者の経験によって色付けされたものとなっています.
わたしたちと情報の関係性の変化は,社会構造の複雑化をもたらしました.様々な情報があふれる現代社会において,人々はそれに惑わされ,それに振り回されることになります.また,情報の過多は,価値の多様化をもたらしました.これは,自由をもたらすという素晴らしい面と何ものにもよれないという孤独(につながる不安)をもたらすということを意味します.
しかし,時代を戻すわけにはいきません.また,先人の命を懸けた闘いの戦利品である「(人間らしさの証である)自由」を手放すわけにはいきません.では,どうすればいいのか?今一度,情報との付き合い方を考える必要がありそうです.
どう,情報と付き合うのか?
第1には,情報収集の方法です.情報収集には,直接情報と間接情報があります.間接情報とは,他者の経験を通して得る情報のことで,伝聞やレポートなどがあります.それに対して,直接情報とは自分自身の身体を通して得た情報のことです.なるべく直接情報で得たものを情報収集の基本とすることがいいと思われますが,そうとばかりは言ってられません.その場合,間接情報を自分の身体を通して吟味することがいいでしょう.特に,対人評価などが入る場合には,その方法を取ることが重要です.その場合,言葉の内容だけではなく,文脈やその情報を収集する対象のノンバーバルな部分も同時に感じ取ることが重要でしょう.これは,質的研究の時の姿勢と同じでしょう.
第2には,批判的吟味です.得た情報を批判的に吟味します.本当にその情報は,その理解でいいのか?自分にしっかりと問いかけます.自分の経験に基づいて,理解するようにするのです.その際にも,言葉の内容に惑わされず,その本質を理解するように吟味します.情報の理解が文脈に沿っているのか?それを検討するのです.今,一部のインテリは,文脈を外した理解で情報を操作することがトレンドの様ですが,そうならないためには全体を抑える必要があります.切り取られた除法だけではなく,なるべく原典に当たる,全体を把握する必要があるのです.これは,まさに論文の読み方,レビューのための全体像の把握と同じです.
このように情報に惑わされず生きるには,研究法の視点が役に立つでしょう.私たちが生きていることで得る「経験」を構成する「情報」を正しく把握する.それは,自分が自分らしくあること.他者を他者そのひととして認めることにつながるのではないかと思います.
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