信念対立解明アプローチの使い方

 今日は雨.晴れの国おかやまの玉野にも雨が降る日があります.傘の下に収まりきらない,このからだ.高い湿度にとまらない汗.そんな日の出勤は,なんだか気持ちが滅入ります.晴れの国なのに~!!って思うのですが,そんなわたしの叫びとは関係なく雨は降り続きます.そんな雨の日の出勤ですが,楽しめることもあるのです.それは,水しぶきとのスリリングなせめぎあいです.東京ディズニーリゾートやUSJのアトラクションのようにドキドキの体験なのです.トラックや乗用車などが通るときに起こる,スプラッシュが歩道を歩くわたしに向かってくるのです.それを傘で受け止める(笑)気持ちはまさに騎士です(笑)でも,最近は,優しいドライバーが多く,あんまり激しくスプラッシュがあがることがなくなりました.そんな,雨の日の出勤中に考えたことを書いてみたいと思います.

 たとえば,誰かと意見が相容れずに対立してしまい,お互いに相容れない価値観や自分の論理の正しさに確証を持っていると,信念対立という状態を引き起こしてしまいます.その状態になると,視野は狭窄し,思考は固定化するため,対立は激化するか,対立により受けるストレスから抑うつ的となり虚無的(アパシー)へとつながります.いわゆる,ファイト(闘争)かフライト(逃避)となり,破壊か絶望へと不毛な対立が続くのです.

 それに対して,信念対立解明アプローチという介入法が京極先生によって開発されました.これは,発生した信念対立に対し,妥協点を見出し解決するという方法ではなく,信念対立の成立条件を解明し,問題を根こそぎ掘り起こすことで,問題自体をないものにしてしまうという強烈な手法です.この方法は,人間の原理など哲学的ベースからなっており,かなり頑健な理論を持った実践手法と言えるでしょう.(詳しくは下記の書籍で)

 
 信念対立が起こった時,当事者は大きなストレスにさいなまれます.対人関係における対立は,社会的な動物であるひとにとって苦しいものなのでしょう.また,信念対立がひとたび起こると,相手の主張を打ちのめそうと躍起になります.そうなると,当事者にとっては,自分が倒されるか?相手を倒すのか?という,サバイバルに移行していますのです.やるか?やられるか?信念対立のいきつく先はそこになる,というくらいエスカレートします.

 だから,信念対立が起こった時,当事者の多くの関心は「どう議論に負けないのか?」ということに移ります.どれだけ鋭い武器で相手を打ち負かすのか?ということに関心が向くことになるのです.それは,サバイバルの要素が強くなる信念対立状況にさらされれば当然の関心であると言えるでしょう.対立しているひとは,誰も「負け」を受け入れたくなく,自分の主張に自分のアイデンティティの全てをかけて,まさに必死に闘っているのです.

 そのような時に,信念対立解明アプローチという最強の武器を手に入れてしまうとどうなるのか?

 先にも述べたように,信念対立解明アプローチは,元々「問題を問題として成立しなくする」ことで,信念対立を解消する介入法です.したがって,信念対立解明アプローチが有効に機能している時には,一番平和な対処方法と言えるでしょう.

 しかし,相手に負かされない,むしろ相手を打ち破り自分の主張を貫くということに関心を持つ立場をとるのなら,信念対立アプローチは最終兵器となってしまうのです.その場合,相手を打ちのめし,相手に絶望を与えることとなるでしょう.関係性上の「死」を相手に与えることになる可能性を秘めています.もちろん,そこまでうまく使いこなせるひとは多くはないでしょうか….

 もちろん,信念対立解明アプローチでは,そのように自分の関心によったアブナイ利用がないように「解明態度」「解明交流法」という装置を持って,中立性を保つように,自分の相手を打ち負かしたいその関心にも気付くように整備されています.ですから,解明アプローチに取り組む解明師見習いは,何よりも解明態度や解明交流法(私的には,特に解明態度)をしっかりとトレーニングしておく必要があるのです.

 そのうえで,自分の関心が対立に向かわないようにするには,どうしたらいいのか?

 わたしの提案は,自分の関心が(真の)目的に向かっているかを確認することです.
①元々の関心が何だったのか?
②自分の主張は「何のため,何を達成するため」に行ったものだったのか?
③そもそも,どうなりたいのか?
ということに振り返ってみる必要があります.
 議論をしようと思うと,相手を打ち負かすことに関心が向かいやすくなり,不毛な言い争いにつながります.建設的な意見を言うためには,議論のための議論ではなく,目的や文脈に沿った議論が必要でしょう.相手に分かってもらうこと,相手のことをわかること,目的を共有すること,信念対立解明アプローチの最も重要な部分をしっかりと理解し,からだで体感できるようになる必要があります.

 そのためには,自己学習と他者によるスーパービジョンが,あるといいのかなと思っています.その方法については,また別の機会に….

 そしてもう一つ,今までの話を頭では理解していても,ついつい感情が走ることがあります.対人関係で起こる信念対立に巻き込まれると,多くの場合感情が揺さぶられ,理性ではわかっているけど,なんだか納得できず,モヤモヤからイライラに変わり気持ちが走り出すといったことが起きます.そうなると理性的には理解しているだけに,「こんな自分はダメだと」自己否定につながり,抑うつの連鎖が続き,負のスパイラルが成立する.そうならないように,わたしは「マインドフルネスによる方法的補完」を提案しています.(それについて,詳しくはこちらから)



 自分の立ち位置を振り返り,目的を確認し,目的に対してはもちろん,人間関係に関しても建設的になるように信念対立解明アプローチを用いることができれば,不毛な対立はなくなり,平和で幸せな世界になるのではないでしょうか??



 

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