まぎらわしい言葉

 今日は,めずらしく朝から雨が降っている玉野です.おかげで,今日は歩いて出勤.汗なのか?雨なのか?職場についた時には,びちょびちょになっちゃってました.

 ところで,昨日たまたまつけていたテレビのニュースから流れてきた言葉.なんだか難しい顔をしたコメンテーターが,こう言っていました.

「レトリックに騙されないようにすることが大切だと思います」

 いやぁ~,難しい.ひじょ~に難しい.きこえてきた言葉への率直な感想でした.

「言い方に騙されないように」でいいんじゃないの?
もしくは,「言い方に誤解しないように」ではどうでしょうか?

 ここで,大切なのは,『自分に都合のいい言い方をするひとのその表現に乗らないように(騙されないように)』という主張だと思います.その主張の是非についての判断は置いておいて(どんな主張も誰かを傷付けたり,自由を奪ったりしない限り(誰かの尊厳に反しない限り)自由に認められるものと考えています),なぜレトリックという言葉を使うのか?それが疑問でした?

 「レトリック」という言葉を使うことで,なんだかその主張が正しいように錯覚する.それこそ,言い方に騙されない.言い方によって,内容を(正しいように)誤解しない.ということがあるんじゃないかな?と思ったことでした.

 昨日のニュースの文脈では,「レトリック」とされる言葉を発したひとを糾弾する.ということに関心があったように感じました.(もちろん間違っているのかもしれませんが・・・)

 しかし,そうだとするならば,「レトリック」などと言わずに「言い方」でよかったのではないかと思うのです.「あのひとの言い方に騙されないで」「あのひとがああいった言い方をしたけど,それであの人の言っていることが正しいと誤解しないで」でいいのではないでしょうか?「レトリック」などの難しい言葉は,その言葉になじみのないひとの判断力を奪います.難しい言葉でそれらしく語ること,まさにそれがレトリックではないでしょうか.特に社会的地位を持つ人がそれをすると危険です.

 もっと,簡単に.伝えたいことを伝えられるように.自戒を込めて.


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