「美は善」
すごいですよね~!!!もう,圧倒的です!!!!直感的に絶対的な正しさを感じます!!!!!(笑)もう,「美は善」でしょうね~.(京極先生の元ネタはこちら)
Blogの中では,「美は善」の成立について,次のように解説されています.
善は美ではなく、美は善。
美は善よりも善。
(中略)
むしろ、善そのもの(たぶん)。なぜなら、善(正義)は悪を直に生むことがあるけども、美は悪を直に生まないからです。
「美は善」であるけど,逆の「善は美」は成り立たない.とにかく,言えることは「美は善」と言うことみたいです.確かに,それは感覚的に納得できますよね~.
わたしたちは,美しいものに心を奪われるんです.そして,美しいものに出会った時に,心を浄化されるのです.圧倒的な美しさを前にすると,言葉を失います.そのものそれ自体に出会うのです.
ここで再び京極先生のお言葉・・・.
美は第一義的に、ぼくたちを魅了するはたらきがある。
きっと,それがすべてでしょう.すなわち,わたしたちは,「美」の前に対峙するときには,ただひとりの存在となるのです.「美しい」と心奪われた瞬間に,何者でもない素のわたし,丸裸なわたしとなり,あるがままにそのままに,開かれた「美」である,それ自体をそのまま感じるのです.そして,その感覚に浸るのです.
一個人として,「美」の前に立った時,ひとは丸腰の存在そのものになります.飾るものは必要なくなりますし,構えるものも必要ありません.その圧倒的存在に身をゆだね,それを傷付けないように細心の注意を払い,その「美」に最大限の敬意を表します.そして,その「美」に魅了されながら,体験的に同一化し,「美」へと昇華していくのでしょう.もう,圧倒的に「美」は善なのです.
天いっぱいに広がるある秋の日の夕焼けに心奪われ,時間がたつのを忘れて見上げ続ける空.紅色に染め上げられた流れる雲が視界から消えていくのを追いかける.遠くで鳴るお寺の鐘の音が自分の中に響き,やや震えるその音にこころが洗われていく.そんな経験は誰にでも1回はあるのではないでしょうか?
(別府の夕焼け)
もちろんそれは,満天の星かもしれませんし,抜けるような青空かもしれません.深い藍色をした海かもしれませんし,透き通るような水が鏡面のような湖かもしれません.もしかしたら,はにかむような笑顔に白い歯が映えるアイドルの写真かもしれませんし,汗がほとばしるほど必死になって頑張るスポーツ選手の一瞬のゆがんだ顔かもしれません.もちろん,天才たちが命を削りながら生み出した芸術作品なのかもしれません.
とにかく,「美」の前に,わたしたちはただひとりの「そのひと」自身になるのです.もう,「美は善」は圧倒的ですね.このように,わたしたちは「美」の前では,「あるがまま」のひとになり,「自分」(という存在の形式)からも離れてしまって,マインドフルな状態になるのでしょう.
やっぱり,美しいものは好きなんです(笑) わたしも,個人的な趣味から,「美は善」っていうのを言いたかっただけかもしれません(笑) でも,それもあるがままのわたしですから・・・.えっ?煩悩と欲望にまみれてるって?? まだまだ「美」が足りなくて,「善」に辿り着いてないのかな~(笑) こりゃ,もっと「美」に出逢わないと~!!(笑)
みなさん,ご協力よろしくお願いしますね~(笑)
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