「よりよく」の中にある「あるべき」感

  文脈から外れた問いなのかもしれませんが・・・.

 「よりよく生きる」ということがテーマに挙げられることがあります.しかし,そこでいう「よりよく」とは,どういうことを意味するのでしょうか?「よりよく」ということは,「今」より「良く」ということなのかなと思います.ということは,「今」の自分やその生き方を変えないといけないということを意味しているのでしょうか?「今」は,常に変わるべき対象であり,現在の自分から変わる必要があるということなのでしょうか?ひとは,常に成長しないといけないのでしょうか?

 という問いがあたまの中に降ってきました.

 もちろん,「よりよく」という前向きな姿勢を否定するつもりは毛頭ありません.むしろ,個人的にはそういう生き方は「いいな~」と憧れるところもあります.(基本的にわたしはネガティブタイプですので・・・(>_<))しかし,なぜ「よりよく生きる」ということに価値が高く与えられているのか?ということに疑問を持ってしまったのです(笑)

 「よりよく」というポジティブな姿勢は,一般的に価値が高いことになっています.努力は推奨されますし,「よりよく」生きることに取り組んだ偉人たちの成功談は,ひとのこころをうつものがあることも事実でしょう.また,社会的にも「よりよく」なるために,科学技術は発展し,新たな社会システムも構築されるなどしており,現在私自身もその恩恵にあずかっています.

 そういった意味では,現在の社会は「よりよく」あることに価値を求める構造があると言っていいのでしょう.それは,現在の社会(構造)を支えるお金(貨幣),それを生み出す資本主義経済という経済システムに連動しているとも思えます.

 わたしは,資本主義経済というのは,ひとの「欲望」という本質的な性質にうまくはまったシステムではないかと考えています.「もっと,もっと」という欲望が経済を発展させ,それにより豊かさを享受できるからです.それどころか,経済的な豊かさは,その日を生き抜くことに必死な狩猟的な生き方から脱却し,明日を語ることが許されることになります.もちろん,狩猟的な生活でも,豊富に獲物があるのならば,豊かさを享受し余裕を得られるのでしょうが(先史時代がそうでした),人口が増えそれを満たすだけの自然の産物である食料が足りなくなっている現在では,近代以前の経済システムでは成り立たず,欲望の満たしようがないことから豊かさを享受することはできなくなっています.したがって,資本主義的な自由経済のシステムが世界のスタンダードになっているのが現代なのでしょう.このように,「よりよく」というのは,経済システムにおける絶対的な価値観なのかもしれません.

 しかし,限りある世界市場のパイを奪い合うという資本主義による自由経済の構造は,ひとの「もっと,もっと」という欲望を満たそうとすればするほどに,パイの奪い合いとなり,結果安定した成果が得られず,その取り分も減少し,その日暮らしになっていくという矛盾をはらんでしまします.いつまでも成長するというのは,幻想でしかないのかもしれません.少なくとも,持続可能とは言い難いのでしょう.そう考えると,「よりよく」という考え方の価値も持続可能とは言い難いのかもしれません.むしろ,より良さを求めるがあまり,副作用のように苦悩が伴うこともあるでしょう.一方で,どこまでが個人のパイの限界なのかも誰にもわかりません.いわゆる可能性は無限大なのです.そのひとの持つ可能性は,誰にも測れないため,そうとしか表現できないのです.

 話がずれてきました.「よりよく」に戻しましょう.ひとは,誰もが「変化」の中を生きています.諸行無常と呼ばれるように,この世に変化しないものはないわけですし,事実ひともそれを取り巻く環境も,ミクロの視点でも,マクロの視点においても,変化し続けています.そして,その変化の中にこそ「本質」があるともいえるのでしょう.

 例えば,日本には四季があります.四季は,日本人が思う日本らしさを表すもので上位に挙げられるものだそうです.その四季ですが,春,夏,秋,冬,それぞれの季節は1年のうちに移り変わります.変化するのです.そしてそこに日本人は,(自分たちに刻み込まれた)日本らしさを本質的に感じるのでしょう.

 したがって,「よりよく」変化する中にある,そのひとの本質的な「主体(としての存在)」を見逃さないことが必要かと思います.そう考えると,「よりよく」生きることを目指すことは大事なことであるとは思いますが,一方で「よりよく」生きることにこだわることもないのではないかと思うのです.

 最後に,よりよく生きるのことを目指すの弊害も書いておきたいと思います.

 「よりよく」と変化を求めることは,変化を目指すことは,「今」の自分自身ではいけない,と「今」の自分自身を否定することにもつながりかねません.変えようと思う,その行為や思考や感情は,「今」を生き抜くために必要だったのかもしれません.「よりよく」と思いながら,「今」を生きているのです!!「今」のわたし,「よりよく」と思っているわたし,そんなわたし自身が「今」ここに居るのです.
 変化を求めることは,今を否定する可能性を含む.そのことを踏まえて,「よりよく」とどう付き合うのか?

 ここまで書いてきて思いました.

 そもそも,「よりよく」とは,「今」より「良く」なのか?「今」もいいけど「よりよく」なのか?結局,「よりよく」という言葉に対する自分の立ち位置なのかな?と思ったりしました.うーん.「よりよく」の向こう側にいるひと(自分,他者)に対する目の向け方なのかもしれません.

 今日は,とってもいい天気です(笑)




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