雨を感じる

 うちには犬がいる.もう7歳の柴犬なのだが,とっても元気だ.本当に元気で,だから散歩が欠かせない.散歩は朝と夕方の2回が基本で,1時間ぐらい歩く.歩くのは,気持ちいい.特に朝は,昇る陽の光を浴びて,吹き抜ける新鮮な風に撫でられ,そう毎日それを機に蘇るのだ.

 今日は,そんな毎日を送るわたしが昨日経験した,それについて話をする.

 昨日,朝なんとなく目覚めた私は戸惑った.「今,何時?」なんとなく,朝5時半くらいの感覚で目覚めたのであるが,なんだか薄暗いのである.「もしかしたら,4時半くらい?だったら,もう少し寝よう」時間を確認しようと枕元にあるはずの携帯電話に手を伸ばす.しかし・・・.「ない!」目を閉じたまま,手がパタパタと枕元を散歩する.「ない!!」肩の可動域いっぱいに背中が反るくらいにいっぱいに,それでも目は閉じたまま捜索範囲を広げてみる.「やっぱりない!!!」一回だけ左右に寝返りし,捜索範囲を広げる.もちろん目は閉じたまま.なんだか目を開けるのがもったいない.もう,意地になっていた.「うーん」ひっくり返された芋虫のように,モゾモゾしながら頭の方へ,そうて手をパタパタパタ.今度は足の方にモゾモゾモゾ,そうして手をパタパタパタ.「う~ん.やっぱりない!!!」それでも目は開けない.もうこうなったら,携帯電話を探り当てるまで,目は開けられない.ひとりで闘い続ける見えない敵は,自分自身でした.敗戦処理もできず,姿が見えぬ自分との闘いが泥沼に入ろうとしていた時.

「ワン!」

文字通り「目を覚ませ!!」とばかりに,彼の声が鋭く響きました.こころの泥沼から現実へ引き戻してくれるその声でからだを起こすと,彼の声が大きな影響を与えたのではないかと,強い副作用で家族のしかめっ面を生み出すのではないかと不安になり辺りを見渡しました.しかし,彼の声は,わたしのこころにのみ届いたようで,見た感じ家族は夢の中,「よかった~」予想と違う平和な寝顔にこころが安らぎました.

 「ちょっと待ってね」そう,彼にいい.あきらめて,枕元を見ると,そこにあるわたしの携帯電話.「そこは触っていなかったっけ?」こんな時は,アインシュタインよりも量子力学の方が信じられる気がする.「やっぱり神はサイコロ振るんじゃない?」なんて勝手な研究疑問.量子力学の「量子の波は観側したときに粒になる」みたいな.きっと,確率の波に乗っていた携帯電話が,彼の声でわたしが目覚めた瞬間に,そこに集約したようにしか思えない.時間を見ると5時37分.「あれっ?」目覚めた時の違和感が再び胸に去来する.やっぱり薄暗い.「うーん」もう一度だけ,携帯電話の時計を見直す.やっぱり,リアルは5時37分.見つめ続けていると38分に,時は流れているし,時計も時を刻んでいる.マインドフルに時の流れを感じようと,自然に目が閉じてくる.

「ワン!」

そこで,もう一声.わたしの世界は,リアルに引き裂かれた.「ごめん,ごめん」起き上がって,トイレ,瞑想とルーティンをこなし,犬を連れて家を出た.

 家を出たわたしは,空を見上げる.

「うーん」

困った.曇っている.しかし,海の方,南の空は雲が薄く,白く明るい感じで光っている.昨日も曇り,念のためにと傘を持って行ったがまったく降らず,すれ違う人たちの視線が気になっていた.「雨は降らないかな?思ったけど念のため」って思っていたら,やっぱり降らなかった.

「うーん」

今日は,なんだか雨に降られそうな感じがした.だから,「念のため」とは思ったが,昨日のことがある.そんな時は,明るい空を探すものらしい,南の空の薄い雲と明るさが目に飛び込んできた.しかも,ゴミ出しもしなければならない.左手にリードを持ち,右手にゴミ袋,Tシャツに短パン,シャワーサンダル.そんな装備で冒険に出る勇者.傘はなんだか似合わない.そんなことを思いながら,歩き出した.

 歩きだして,家から続く心臓破りの急な坂を2/3ぐらい下った頃,ポツリと腕になんだかな冷たい感覚.慌てて空を見上げる.雲を見るのではなく,探すのは鳥の姿.いなかった.鳥の影はそこにはない.蝉の声も聞こえない.「よかったぁ~」と思う反面,空から降ってきた未確認物体の正体は分からない.「なんだぁ~?なんなんだ?」もう一度,空を見渡す.やっぱり,なにも見当たらない.目に飛び込んできたのは,ぼんやり白く光る南の空.薄い雲が流れている.

 その時,リードが引かれて我に返る.再び歩き出した.

ビルの6階くらいの高さにある我が家から,坂を下ってきたときに,再び今度は頭頂部にポツリとなんだか冷たい感覚があった.恐る恐る,その感覚があった場所に手を伸ばす.なんだか冷たい,水っぽさがある.わたしのこころに,得体のしれない不安とおぞましさの含まれた嫌悪感が沁みだしてきた.「・・・」覚悟を決めてわたしは,それを確認する.「あれ?白くない?黒くもない?黄緑色のドロドロした感じもない?」空には鳥も飛んでいない.電線にも,鳥はとまっていなかった.「よかった」この上ない安堵感に包まれる.振り返ると登山家の行く手を阻む絶壁のような坂.あの坂の上に我が家の屋根が頭を出している.視線を転じると,南の空はやっぱり明るかった.

 勇者は,再び冒険を始めた.

明るい空は,勇気を与えるらしい.勇者の足は自然と速まっていく.「右,左,右,左」そのリズムに身をゆだねながら30歩ほど進んだとき,2度あることは,と言われるように3度目のポツリ体験.もう,鳥は気にしない.南の空だけ見て,明るい空に勇気をもらい,「右,左」の感覚をより詰めていく.もっと,もっと.怪訝そうに相棒がわたしの顔をチラチラと見上げていた.

 いつの間にか,ポツリは,ポツポツに変わり,わたしの腕は透明な液体で濡れていた.「仕方ない」わたしは,西の空を見上げた.黒いモクモクとした雲が空を支配しようと勢力を伸ばしていた.

 「傘がない」

わたしは現実を思い知った.降る雨は,容赦なく私の頭を冷やさせた.よこしまなこころを洗い流すように,わたしのからだを濡らしていった.そして,わたしの髪から垂れ落ちる雨が腕をつたい,流れていく.「雨が降った」私は確信した.そして,その体験を言葉で括ったのだった.

 勇者は言い訳をしない.自分の力も自慢しない.

だが,わたしは感じていたのだ.雨が降りそうだなと感じていたのだ.「そう,気づいていたのに・・・」わたしは,そうこころの中で呟いた.自分が誇らしく思えた.自分の身体感覚に素直に驚いた.

 でも,今は,傘がない

わたしは,気づいていた.でも傘がない.まだまだだった.まだまだ統合されていなかった.まだまだ執着していたのだろう.きっとこれが自己の内での信念対立.なんだか曲が流れてくる.井上陽水の名曲が頭の中でリフレインする.そして,傘がない.でも,いかなくちゃ.散歩に.彼のためにいかなくちゃ.傘がない.

 いつもより,雨を感じた.そんな昨日の物語.からだに素直に.傘を大切に.それでも勇者は歩いていく,彼と共に彼を友にして.



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